小説「新・人間革命」 懸け橋72  10月24日

 一行が荷物をまとめ、あとは空港に向かうだけとなった夕刻、連日、同行してくれていたモスクワ大学のトローピン副総長の主催で、歓送のパーティーが開かれた。

 会場は、宿舎のロシアホテルのレストランであった。

 ソ連側のメンバーは、トローピン副総長のほか、通訳のストリジャック主任講師、そして、モスクワ大学で日本語を学んでいる、彼の教え子の学生たちである。

 この学生たちは、滞在中、ホテルで一行と寝食を共にし、荷物の運搬や道案内、車や食事の手配を行うなど、さまざまな面で支えてくれたのである。

 山本伸一は、彼らを心からねぎらい、御礼を言いたかった。

 だから、ストリジャックから、サヨナラ・パーティーの話を聞かされた時、「喜んで出席させていただきます」と答えたのだ。

 学生たちは、将来は日ソの友好を担って立つ俊英である。伸一は彼らを、「若き友人」と思っていた。

 伸一の一行は、苦楽を共にしてくれた彼らを、親しみを込めて、愛称で呼ぶようになっていた。

 まとめ役の学生は“官房長官”、車の手配を担当してくれた学生は“運輸大臣”、食事担当の学生は“食糧大臣”、報道陣などとの連絡を担当してくれた学生は“外務大臣”、会計担当は“大蔵大臣”であった。

 彼らは、伸一の訪ソの成功を、わが事のように喜んでいた。

 「山本先生は、ソ日友好の歴史に残る偉大な仕事をされたと思います。そのお手伝いができたことは私たちの誇りです」

 会食のはじめに、伸一は立ち上がると、丁重に御礼を述べた。

 「この訪問で、日ソ友好の新しい橋を架けることができました。

 それを陰で支えてくださった、最大の功労者は皆さんです。

 私は、心から御礼、感謝申し上げます。ありがとうございました。

 東洋の英知の言葉は、『陰徳あれば陽報あり』(御書一一七八ページ)と教えています。人に知られない善行であっても、明らかな善き報いとなって自らにかえってくるということです。これは人間が生きるうえでの大事な哲学です」

 皆、笑顔で頷いた。