小説「新・人間革命」  10月27日 懸け橋75

 山本伸一の乗った飛行機が離陸したのは、九月十七日の午後八時ごろであった。

 モスクワの街の灯を見ながら、伸一は思った。

“今回のソ連訪問で、数多くの友情の種子を植えることができた。これからは、さらに交流を重ね、大誠実をもって、友情の大樹に育て上げていくのだ”

 日蓮大聖人は「火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず」(御書一一一八ページ)と

仰せである。

 友情もまた持続である。その場限りの交流に終わってしまえば、友情が育つことはない。

ソ連の人びとも心から平和を願っている。コスイギン首相は中国を攻めないと言明していた。再び中国を訪問し、その言葉を、中国の首脳に伝えなくてはならない。

 また、ソ連の首脳や民衆が、どんな考えでいるのかを、中国だけでなく、日本中に、いや、世界中の人たちに伝えていこう”

 彼は、その決意を、全力で実行に移した。

 訪問中から書き始めたソ連についての新聞や雑誌への寄稿は、帰国後一カ月余りで本一冊分ほどになった。寸暇を惜しんでの執筆であった。

 また、十月初めにモスクワ大学のストリジャック主任講師と学生たちが来日すると、伸一は、滞在期間中、創価大学や鹿児島の九州総合研修所(当時)などに招き、交流を重ねた。

 今度は伸一が、自ら彼らの運輸担当となり、食糧担当となった。

 さらに、十月末からホフロフ総長夫妻らが来日すると、創価大学をはじめ、聖教新聞社や学会本部などで会談し、教育交流の展望を語り合った。

 総長との帰国前の語らいでは、伸一はコスイギン首相への親書を託した。総長からは「明春、モスクワでお会いしたい」との、強い要請が寄せられた。

 友誼の潮は、二十一世紀の大海原へ、勢いよく流れ始めたのだ。やがてそれは、教育・文化の、そして平和の、大潮流となるにちがいない。

 未来を開け! 開墾の鍬を振るえ! 勇敢に、恐れなく、生命ある限り――こう伸一は、自らに言い聞かせていた。

「君よ播け、知性と善と永遠の種を!」(注)とは、チェーホフの戯曲の一節である。

   (この章終わり)



引用文献: 注 「森の主」(『チェーホフ全集12』所収)神西清池田健太郎訳、中央公論新社