小説「新・人間革命」 信義の絆2  10月30日

今回、山本伸一は、日本から飛行機で、直接、中国に入ることになる。

 半年前の初訪中の折には、日本から中国に行く飛行機便はなかった。

 そこで、まず日本からイギリス領の香港に行き、香港から列車で中国の深セン(シェンチェン)に入った。そして広州(コワンチョウ)に出て、そこから空路、北京に向かった。北京に行くのに、二日を費やしたのである。

 しかし、九月末、日中定期航空路が開設されたのだ。といっても、まだ週四便であり、東京―北京の直行便は週一便しかなかった。

 伸一たちの乗る便は、大阪、上海を経由して北京入りすることになる。それでも所要時間は七時間ほどの予定である。

 伸一は、そこに時代の変化を感じていた。六年前に、彼が「日中国交正常化提言」を行った時、いったい誰が、こうした時代の到来を想像したであろうか。

 時代は動く。時代は変わる。それには、まず人間の心を動かすことだ。人が変われば、間違いなく歴史も変わるのだ。  

 やがて、搭乗の時刻になった。伸一はタラップを上ると、見送りの人びとに手を振り、機中の人となった。

 伸一の今回の訪中は、北京のみの滞在で、四泊五日を予定していた。

 午前十時前、一行の搭乗機は羽田を飛び立った。その後、大阪を経由し、上海に向かった。大阪から上海までは二時間半、また、上海から北京までは一時間半ほどの空の旅である。

 機内にあって伸一は、今後、日中の教育・文化交流をいかに進めていくかについて、深い思索を重ねた。

 また、お世話になった客室乗務員にも、自著に、「日中の 空飛ぶ天女に 幸光れ」と記して贈るなど、周囲の人びとへの気遣いを怠らなかった。

 知り合った人を大切にし、信頼の絆で結ばれていくことから、真の友好は始まる。

 北京の空港に到着したのは、現地時間の午後四時半(日本時間午後五時半)であった。

 北京の気温は氷点下であった。タラップに立つと、風は頬を刺すように冷たかった。

 寒風に進め――それが伸一の信念であった。