きょうの聖教新聞  2008・1・21

★名字の言

▼小学校低学年の子が、来の字を「米」と書き間違えた。理由は上の横棒を引き忘れた、と。確かに、米の字に横棒一本を加えれば「来」になる

▼語源を知っておもしろいことが分かった。本来、来の字は「來」と書く。ムギが実ってのぎ(穂先のとげ)を大きく左右に張り出した様をかたどった象形文字なのだ。「来」は米と同じ穀物が起源だった

▼古代中国で、ムギを意味する「來」と「やってくる」動作を表す単語は同音。抽象的な意味の動詞などは象形文字化しにくい。そこで「來」を当て字にしたのだという(阿辻哲次著『幹事の知恵』ちくま新書

▼人間は言葉を使い、あらゆる事象を表現することができる。見聞きして感じたこと、心に描いたことを相手にどう伝えるか。その道具が言葉である

▼御聖訓に「仏は文字に依って衆生を度し給う」(御書153ページ)-仏は言葉を自在に操って法を説いて衆生を救う、と。心が空っぽでは言葉は出てこない。常日ごろから相手を深く思い、心から気遣う。その発露として、生命にわき上がってきた感情の奔流が言葉となり、相手の心を包み込んでいく

▼きょうは大寒。一年で最も寒く身が縮こまる時節だが、心は伸び伸びと、温かい言葉を友に届けていきたい。( 濤 )

★“若き巨匠”と讃えられる実力派ピアニスト アルゼンチン フェルナンド・マルサン氏からSGI会長に献呈曲 偉大なる東洋の神秘

★わが友に贈る
 朗らかに協議会を。
 広布前進のために。
 地域の繁栄と
 全同志の幸福へ
 心一つに前進!

★今週のことば
 「法華を識る者は
 世法を得可きか」
 仏法は即社会である。
 職場で! 地域で!
 信頼を勝ち得よ!