小説「新・人間革命」  2月16日 SGI 38

山本伸一はマレーシア訪問の折、マハティール首相と会見し、アジアの平和に思いを馳せながら、指導者論などを語り合い、友誼の交流を深め合った。

 さらに伸一は、引き続いてシンガポールを訪問し、リー・クアンユー李光耀)首相と会見。二十一世紀を展望しつつ、国連の役割や日本の使命、人生論などについて語り合った。

 そのあと、メンバーの代表者会議に出席した伸一は、シンガポールの理事長になっていた高康明に言った。

 「高さん。マレーシアにも、シンガポールにも、仏法の人間主義の哲学は大きく広がりました。これは、あなたの勝利です。

 あなたが信心を教えたマレーシアの柯文隆さんは亡くなられた。したがって、柯さんの分まで、生きて生きて生き抜いて、希望と勇気の灯台となってください」

 高は、既に七十歳を超えていた。彼は、伸一の手を握り締めて言った。

 「わかりました。人びとの幸福のために、社会の繁栄のために、力を尽くし抜いてまいります」

 高康明は、この約束通り、同志を守り、励まし続けた。彼のもとからたくさんのメンバーが、社会貢献の人材として育っていった。

 SGIに対する信頼も増し、シンガポールもマレーシアも、政府の要請を受け、メンバーが国家行事に連続して出場。ダンスや体操などの演技を披露してきた。

 また、両国には創価幼稚園がつくられ、幼児教育の模範として高い評価を得ている。

 二〇〇〇年(平成十二年)に、伸一がシンガポールを訪問した時には、高康明は八十四歳になっていた。彼は杖をついてシンガポール創価学会の本部に来て、柔和な笑顔で伸一を迎えた。

 この東南アジア広布の開拓者が、尊き生涯の幕を閉じたのは、八十八歳であった。生前、彼は語っていたという。

 「人類の長い歴史のなかで、創価学会に、そして偉大なる師匠に巡り会い、広宣流布のために働けることがいかにすばらしいか、私は今、心の底から実感します」

 大聖人は仰せである。

 「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書四六七ページ)