小説「新・人間革命」 SGI39 2月18日

 世界平和会議の会場を回っていた山本伸一は、アフリカのメンバーの席に来ると、日本人青年に声をかけた。ガーナ指導長の南忠雄である。

 聖教新聞の海外常駐特派員として、一年前からガーナに派遣されている青年であった。

 「南君、今度は家族を連れて赴任するんだね。

 いよいよ、これからが正念場だよ。大変なことの連続かもしれないが、歯を食いしばって頑張り抜くんだ。

 同じ一生ならば、アフリカの人びとの幸福のために人生を捧げ、広宣流布のパイオニアとして名を残すことだ。それが君の使命だ。

 崇高な使命に生きられるということが、どんなにすばらしいか、やがて、しみじみとわかる時がくるよ。君がこれから、どうしていくのか、私は、じっと見ているよ」

 「はい!」

 南は、すっかり日焼けして黒くなった顔で、目を輝かせて頷いた。

 聖教新聞社では、二年前の一九七三年(昭和四十八年)から、アメリカ、香港、フランスに海外常駐の特派員を派遣してきた。その第二陣として、西ドイツ(当時)、ガーナ、ペルーにも、特派員を送ることになり、南はガーナに派遣されたのである。

 彼は、新聞社で常駐特派員を募った時、勇んでガーナ行きを希望した。創価学会本部の職員となり、聖教新聞社に配属された時から、南は、世界広宣流布のためには、どこへでも行こうと心に決めていたのだ。

 “キリスト教の宣教師たちも、苦難を厭わず、世界のどこまでも行き、伝道にあたった。

 学会にも、それ以上の決意をもった人が、たくさん出なければ、世界の広宣流布など、できようはずがない……”

 わが身を粉にして働く人、殉難をも恐れぬ覚悟の人の、血と汗と涙の敢闘こそが、広宣流布の茨の道を開くのだ。

 もしも、職員や学会のリーダーたちが、楽をすることや、わが身の安泰や保身ばかりを考えるようになれば、広宣流布の道は断たれてしまうにちがいない。

 仏法のために、一身を捧げた人は、経文に照らし、御書に照らして、わが生命を永遠に荘厳し、絶対的幸福境涯の道を確立していけるのだ。仏法には犠牲はない。