小説「新・人間革命」 人間外交15 3月19日

三月の十四日、山本伸一は、ソ連対外友好文化交流団体連合会のA・M・レドフスキー副議長と聖教新聞社で会談した。話題は国際情勢からトルストイ文学に及び、文学観についての語らいとなった。

 そして、十六日には聖教新聞社で、来日した中国青年代表団の一行を歓迎したのである。

 この日の朝、妻の峯子は、伸一に言った。

 「今日は、中国の青年の方々とお会いするんですね。張り切っていらっしゃるのが、よくわかりますわ」

 「中国の青年たちと会えると思うと、嬉しくて仕方がないんだよ。未来のために本当に大事なのは青年交流だからね」

 青年のために道を開いてこそ、未来は開かれる――伸一は、それこそが自身の使命であると決めていたのだ。

 三月十六日は、一九五八年(昭和三十三年)に、第二代会長の戸田城聖から、伸一をはじめとする青年たちに、広宣流布の後事の一切を託す記念の式典が行われた日である。

 男子部では、その「3・16」を記念する大会を、この日、東京・両国の日大講堂で開催し、引き続いて同じ会場で、中国青年代表団歓迎大会を行うことになっていた。

 その後、一行は聖教新聞社を訪問する予定になっており、伸一はそこで代表団の青年と懇談しようと決めていたのだ。

 この歓迎大会の開催を提案したのは伸一であった。

 中国青年代表団の訪日を中国関係者から聞いた彼は、青年部首脳に、日中の青年交流の大河を開くために、盛大に歓迎大会を開いてはどうかと語ったのである。

 「青年は、胸襟を開いて、大いに友情を広げていかなくてはいけない」(注)とは、周恩来夫人のトウ穎超が示した指針である。

 青年部長になっていた青田進は答えた。

 「ぜひ、やらせてください。『3・16』は、戸田先生から山本先生をはじめ、弟子の青年たちが広宣流布のバトンを受け継いだ日です。

 今年の『3・16』は日中友好のバトンを先生から私たちが受け継ぐ日といたします」

 師と弟子の心が合致するところから、新しい前進の歯車は回転を開始するのだ。



引用文献:  注 金鳳著『トウ穎超伝』人民出版社(中国語版)