小説「新・人間革命」 人間外交50 4月30日

カンボジアに残った高根八重の夫のパン・ソーレは、プノンペンから農村に移され、そこで強制労働させられた。

 農村では都市に住んでいた人びとは「新人民」と呼ばれ、「旧人民」とは差別された。

 彼ら「新人民」の食事は一日二回、一杯の湯のような粥だけであった。

 パン・ソーレは、灌漑用の水路づくりをさせられた。

 その監視にあたったのは、銃とムチを手にした、農村の十代の少年少女であった。

 この若い“監視人”たちは、体力もなくし、よろよろとモッコを担ぐ「新人民」を銃の先で突き、「怠け者!」と口汚く罵るのである。

 気にくわない者は、上層部に訴えた。すると、まるで鳥でも撃つかのように銃殺された。

 誤った教育ほど、恐ろしいものはない。生命の尊さを説き、真実の平和創造と人道を教える人間教育、平和教育がなされぬ限り、人類の悲劇は再生産されよう。

 夫の従兄一家は、十人全員が、疲労と病で死んでいった。

 夫のパン・ソーレは、タバコ栽培をやらされていた時、彼の弟と一緒に脱走を企てた。

 昼は密林の樹上に隠れて、夜の来るのを待って行動した。

 周囲には、ポル・ポト派の埋めた地雷原が広がっていた。

 暗闇のなか、人の足跡を探して、一歩、一歩、踏み進むしかなかった。

 また、いたる所に、死体を投げ込んだ大きな穴があった。落ちれば、はい上がるのは難しい。

 食べる物もなく、飛んでいる虫であろうが、口に入る物は、なんでも食べた。ボウフラがわいている汚れた水も飲んだ。

 生死の淵をさまようような日々であった。

 そして、遂にタイ国境に逃げ、難民キャンプにたどり着いたのである。

 パン・ソーレが日本の大地を踏んだのは、一九八〇年(昭和五十五年)のことであった。

 「願いは叶った! 祈りは通じたのだ!」

 高根八重は、仏法の力を生命の底から痛感した。御本尊への、そして仏法を教えてくれた学会への感謝の思いで、胸はいっぱいになった。

 彼女は、生涯、報恩感謝の心で信心を貫き、カンボジアの平和のために尽くしていこうと思った。