小説「新・人間革命」 共鳴音5  5月23日

 記念式典は、座談会場などの会場提供者への表彰となった。

 山本伸一は、会場提供者の苦労を、よく知っていた。

 彼自身、青年時代からアパートの自室を、座談会場などとして提供してきた。何人ものメンバーが訪ねてくるので、“駐輪などで、周囲に迷惑はかからないか。声が外に漏れていないか”と、心を配った。

 参加者のなかには、注意を呼びかけても、大声で話しながら来る人や、足音を響かせて廊下を歩く人もいた。

 伸一は、会合の前後には、隣人たちに、あいさつをして回るように心がけてきた。

 また、彼は、自分が座談会など、個人の家を使っての会合に出席した折には、家の方々に必ず丁重に御礼を述べた。

 そして、その家に受験生や病人などがいることがわかると、会場として使用することは控えるようにしてきた。

 やむなく使わせてもらった場合にも、早めに切り上げ、皆が長居をしないように努めた。

 さらに、会場提供者と話し合い、使用した部屋はもとより、トイレ、玄関などの清掃も、皆で手分けして行うようにしてきたのである。

 ともあれ幹部は、会場提供者に最大の配慮と感謝を忘れてはならない。

 会場があるから広宣流布が進むのである。

 仏法が説かれ、功徳が語り合われ、発心を誓い合う場となる会場は、さながら現代における霊鷲山会であり、虚空会といってよい。そこは生命蘇生の宝処なのである。

 一方、わが家を、その会座として提供できるということは最高の喜びであり、誇りではないか。功徳、福運も、無量無辺である。

 伸一の妻の峯子の実家も、草創期から会場として使われてきた。彼女の父母が、喜んで自宅を提供してきたのである。

 峯子は、母と共に、同志を真心の笑顔で迎え、“わが家を会場として使っていただき、本当にありがたい”と思ってきた。この感謝の一念が、さらに、功徳、福運を倍増させるのである。

 記念式典で表彰された会場提供者は、皆、そうした心で、尽力してくださっている方々の代表である。伸一は、一人ひとりに深く頭を下げ、大きな拍手で祝福した。