小説「新・人間革命」 共鳴音19 6月10日
ブロソレット大統領府事務局長と山本伸一は、日仏関係や、ヨーロッパ文化と日本文化の違いについて語り合った。
また、中国のトウ<登におおざと>小平副総理がフランスを訪問中であったことから、中仏関係について尋ね、さらにソ連観についても意見交換した。
会談が終わると、伸一は急いでパリ会館に戻った。正午過ぎにローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士を迎えることになっていたのだ。
――二年前、伸一と対談したトインビー博士は、対談終了後、川崎鋭治に、こう言って、伸一あてにメモを託した。
「これは、私の友人の名前です。ミスター・ヤマモトはお忙しいでしょうが、可能ならば、お会いしていただければと思う人たちです。
……世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」
そこには、何人もの錚々たる世界的な学識者などの名が記されていた。
その一人がペッチェイ博士であった。彼は著名な実業家で、人類の未来のためには人間の生き方の転換が必要であり、人間性を革命しなければならないと訴えてきた。
博士は、天然資源の無駄遣い、人口爆発、環境破壊などによる人類の危機を回避するため、一九六八年(昭和四十三年)に世界各国の学識者や経営者らに呼びかけ、ローマで初会合を開催。
そして、民間組織ローマクラブが発足する。
このローマクラブは七二年(同四十七年)に「人類の危機」リポート『成長の限界』を発表。
このままでは、食糧不足、資源の枯渇、環境汚染等によって、百年以内に成長の限界に達し、人類は破滅的な事態を迎えかねないと警告を発したのだ。
世界に衝撃が走った。
同じ危機感をいだいていた伸一は、この『成長の限界』に、大きな関心をもった。ぜひ、博士と語り合わなければならないと思っていたのだ。
その伸一の意向を受けて、川崎鋭治がペッチェイ博士と会い、創価学会の理念や目的、活動などについて語ってきた。
博士は、人間革命を基調に、世界の平和をめざす学会の運動に共感。グアムでの第一回「世界平和会議」に賛同のメッセージを寄せていた。
また、中国のトウ<登におおざと>小平副総理がフランスを訪問中であったことから、中仏関係について尋ね、さらにソ連観についても意見交換した。
会談が終わると、伸一は急いでパリ会館に戻った。正午過ぎにローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士を迎えることになっていたのだ。
――二年前、伸一と対談したトインビー博士は、対談終了後、川崎鋭治に、こう言って、伸一あてにメモを託した。
「これは、私の友人の名前です。ミスター・ヤマモトはお忙しいでしょうが、可能ならば、お会いしていただければと思う人たちです。
……世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」
そこには、何人もの錚々たる世界的な学識者などの名が記されていた。
その一人がペッチェイ博士であった。彼は著名な実業家で、人類の未来のためには人間の生き方の転換が必要であり、人間性を革命しなければならないと訴えてきた。
博士は、天然資源の無駄遣い、人口爆発、環境破壊などによる人類の危機を回避するため、一九六八年(昭和四十三年)に世界各国の学識者や経営者らに呼びかけ、ローマで初会合を開催。
そして、民間組織ローマクラブが発足する。
このローマクラブは七二年(同四十七年)に「人類の危機」リポート『成長の限界』を発表。
このままでは、食糧不足、資源の枯渇、環境汚染等によって、百年以内に成長の限界に達し、人類は破滅的な事態を迎えかねないと警告を発したのだ。
世界に衝撃が走った。
同じ危機感をいだいていた伸一は、この『成長の限界』に、大きな関心をもった。ぜひ、博士と語り合わなければならないと思っていたのだ。
その伸一の意向を受けて、川崎鋭治がペッチェイ博士と会い、創価学会の理念や目的、活動などについて語ってきた。
博士は、人間革命を基調に、世界の平和をめざす学会の運動に共感。グアムでの第一回「世界平和会議」に賛同のメッセージを寄せていた。