小説「新・人間革命」 共鳴音21 6月12日
色とりどりの美しい花々が、微笑むように風に揺れていた。
ローマクラブのペッチェイ博士が、パリ会館に到着したのは、五月十六日の正午過ぎのことであった。
白髪の博士が、さっそうと車から降りると、山本伸一は両手を大きく広げて歓迎した。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。大変にありがとうございます。ペッチェイ先生とお会いできるのを楽しみに、ヨーロッパにまいりました」
博士は六十六歳。実業家として世界を駆け巡ってきた。
戦時中はファシズムへの抵抗運動に参加し、獄中で激しい拷問に耐え抜いた体験ももっている。
また、戦後は、人類が直面する地球的規模の問題群の研究、危機回避に取り組むとともに、人間性革命を叫んできた。
伸一は最初、会館の応接室にペッチェイ博士を案内した。
博士は、伸一の小説『人間革命』の英語版を持参しており、伸一にサインを求めた。
伸一は認めた。
「人間性革命の提言者であり 先駆者である博士の御活躍と御成功を 人間革命の私は心より祈り 待っております」
一方、伸一は、トインビー博士との対談が『二十一世紀への対話』として日本で出版されたことを伝え、この本にサインを求めた。
ペッチェイ博士は、こう記した。
「先生に深い敬意を表するとともに、貴殿が取り組まれている先駆的な啓発活動が、すべて実を結ばれますよう、心からお祈り申し上げます」
この日は、ちょうど、ペッチェイ博士の夫人の誕生日であった。
そんな大切な日に、わざわざ伸一に会うためにイタリアから駆けつけてくれたのである。伸一は、申し訳ない思いでいっぱいであった。
博士は、破滅へと向かう人類の歩みを回避するために、新たな突破口を見いだそうと、必死であったにちがいない。
その懸命な一念と強い責任感が、鋭い眼光となって、仏法者の伸一に注がれた。
「諸君は、全人類を救いゆく世界最高峰の生命哲学をもっている」とは戸田城聖の叫びである。
伸一には、博士の心が痛いほどよくわかった。
ローマクラブのペッチェイ博士が、パリ会館に到着したのは、五月十六日の正午過ぎのことであった。
白髪の博士が、さっそうと車から降りると、山本伸一は両手を大きく広げて歓迎した。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。大変にありがとうございます。ペッチェイ先生とお会いできるのを楽しみに、ヨーロッパにまいりました」
博士は六十六歳。実業家として世界を駆け巡ってきた。
戦時中はファシズムへの抵抗運動に参加し、獄中で激しい拷問に耐え抜いた体験ももっている。
また、戦後は、人類が直面する地球的規模の問題群の研究、危機回避に取り組むとともに、人間性革命を叫んできた。
伸一は最初、会館の応接室にペッチェイ博士を案内した。
博士は、伸一の小説『人間革命』の英語版を持参しており、伸一にサインを求めた。
伸一は認めた。
「人間性革命の提言者であり 先駆者である博士の御活躍と御成功を 人間革命の私は心より祈り 待っております」
一方、伸一は、トインビー博士との対談が『二十一世紀への対話』として日本で出版されたことを伝え、この本にサインを求めた。
ペッチェイ博士は、こう記した。
「先生に深い敬意を表するとともに、貴殿が取り組まれている先駆的な啓発活動が、すべて実を結ばれますよう、心からお祈り申し上げます」
この日は、ちょうど、ペッチェイ博士の夫人の誕生日であった。
そんな大切な日に、わざわざ伸一に会うためにイタリアから駆けつけてくれたのである。伸一は、申し訳ない思いでいっぱいであった。
博士は、破滅へと向かう人類の歩みを回避するために、新たな突破口を見いだそうと、必死であったにちがいない。
その懸命な一念と強い責任感が、鋭い眼光となって、仏法者の伸一に注がれた。
「諸君は、全人類を救いゆく世界最高峰の生命哲学をもっている」とは戸田城聖の叫びである。
伸一には、博士の心が痛いほどよくわかった。