小説「新・人間革命」  6月21日 共鳴音29

 日本では、千田芳人の父親が、息子のパリでの修業先を紹介してもらえる人を必死になって探していた。

 そして、菓子業界の関係者に紹介状を書いてもらうことができた。

 一九六九年(昭和四十四年)秋、パリの千田のもとに紹介状が届いた。彼は、小躍りしたい気持ちだった。

 その菓子店を訪ねるにあたって、知り合った日本人の菓子職人に、採用される秘訣を聞いた。

「全く経験がないと言ったのでは駄目だ。日本で三年間修業しましたと言うんだよ」

 面接では、そのアドバイス通り、「日本では三年ほど修業しました」と答えた。採用が決まった。 しかし、麺棒ひとつ、まともに使えないのだ。嘘はすぐにばれた。

 店の主人は、怒りを露にして叫んだ。

「お前は何もできないじゃないか! 店には必要ない。日本に帰れ! とっとと出て行け!」

 千田は愕然とした。

“このまま、日本に帰ったら、父さんはどんなに落胆するだろうか。母さんは、どんなに心配するだろうか。また、自分はなんのためにパリまで来たのか……”

 そう思うと、おめおめと日本に帰るわけにはいかなかった。

「パ・ド・サレール」(給料はいりません)

 千田は、そう必死に繰り返した。

 店においてくれると言うまで、懇願し続けるつもりであった。

 やがて店の主人は、根負けし、働くことを許してくれた。

 給料はなかった。しかし、フランスに来た目的である菓子づくりの修業が続けられることの方が嬉しかった。

 仕事は、朝の六時から夜八時までで、日曜は午前四時から始まった。

 一日中、立ちっぱなしである。足は棒のようになった。

 仕事を命じられてもフランス語がわからず、怒鳴られることもたびたびであった。

 心身ともに疲れ果て、挫けそうになると、トイレで、そっと母の写真を見た。母の優しさが偲ばれ、熱い涙があふれた。

“早く一人前になって母さんを喜ばせるんだ”

 こう自分に言い聞かせ、歯を食いしばって仕事場に戻った。

 愛する人の存在は、苦難に打ち勝つ力となる。