小説「新・人間革命」  7月12日  共鳴音47

 山本伸一は五月二十日には、パリ会館でアカデミー・フランセーズ会員で美術史家のルネ・ユイグと会談した。

 彼とも、前年四月、聖教新聞社で初めて会い、会談していた。

 戦時中、学芸員であった彼が、ナチスの手からルーブル美術館の至宝を守り抜いたことは、つとに有名である。

 今回の会談では、精神の力の復興が大きなテーマとなり、ここでも、人間革命をめぐって話が弾んだ。

 彼との対話も、対談集『闇は暁を求めて』となって結実するのだ。

 さらに翌二十一日の午前、伸一はパリの南ベトナム臨時革命政府の大使館を訪れ、レ・キ・バン代理大使と会談した。

 ベトナム戦争は、停戦(一九七三年)後も南北間の戦闘が続いてきた。北ベトナム軍の戦車がサイゴン(当時)に無血入城し、南ベトナムが解放され、戦争にピリオドが打たれたのは、まだ二十日余り前のことである。

 会談では、今後の日本との外交、南と北の統一の問題などについて意見が交わされた。

「どうか、会長から日本の人びとへ、われわれベトナム人民の心を伝えてください」

 その言葉に伸一は、平和と友好を願う魂の声を聞いた思いがした。

 そして午後には、フランス社会党の執行委員で社会運動の論客として知られるジル・マルチネ宅を訪ねた。マルチネとも前年の三月に東京で会談しており、二度目の語らいであった。

 会談では、文明論、さらに指導者論にも話が及び、二人の意見は「指導者の条件は明快さにある」との結論に達した。

 伸一はこのヨーロッパ訪問では、可能な限り、識者と対話を重ねた。彼の胸には「対話を!」との、トインビー博士の言葉がこだましていた。

 そして、語り合った一人ひとりが、人間の変革を志向し、伸一の語る人間革命の哲理に感銘し、精神の共鳴音を高らかに響かせたのである。

 十九世紀後半、ビクトル・ユゴーは「フランス革命を完遂すること、そして、人間的な革命を始めることを義務とする、今世紀」(注)と記した。

 今、まさに、その「人間革命」の本格的な時代が、遂に、遂に、到来したのだ! 時は来たのだ!   (この章終わり)





引用文献: 持田明子著『ジョルジュ・サンド 1804―76』藤原書店