小説「新・人間革命」 宝冠1 7月15日

飛行機が高度を上げると、上空には、果てしない青空が広がっていた。

 平和旅を続ける山本伸一の胸に、詩聖タゴールの詩の一節がこだましていた。

 「曇らない希望を君の魂にもって/新しい岸にまで到り着く力を死守せよ」(注)

 荒れ狂う怒濤のごとき世界にあって、平和の岸辺へと人類を運ぶことは、気の遠くなるような労作業である。

 それは、常に困難と失意と絶望という暗雲との戦いである。だからこそ、信念と哲学と勇気をもち、何があろうが、わが胸に赫々たる希望の太陽を昇らせるのだ。

 断じて負けることの許されぬ戦い――それが、われらの人間主義の開拓作業なのだ。    

 一九七五年(昭和五十年)五月二十二日正午、フランスでの予定を終えた伸一は、妻の峯子、ヨーロッパ会議議長の川崎鋭治らと共に、パリの空港を発ち、モスクワに向かった。ソ連は二度目の訪問となる。

 機中、伸一は、原稿の束を取り出し、ペンを手に、真剣に目を通し始めた。

 そこには「東西文化交流の新しい道」とのタイトルが記されていた。今回、彼がモスクワ大学で行うことになっている、記念講演の原稿である。

 伸一は揺れる機内で推敲を重ねていった。

 彼は、この講演で、これまで対立的にとらえられてきた東洋と西洋の、心と心を結ぶ文化交流を提案し、平和を創造する新しい道を示したいと考えていたのだ。

 今回の訪ソは、前回、招聘元となったモスクワ大学だけでなく、ソ連対文連(ソ連対外友好文化交流団体連合会の略称)、ソ連作家同盟も招聘元として名を連ねていた。日ソ友好の推進力として、ソ連の伸一への期待と信頼は、一段と高まっていたのである。

 今回の訪問では、モスクワ大学での講演のほか、ノーベル賞作家M・A・ショーロホフ生誕七十年の記念行事への出席、対文連の訪問、文化省との交流などが予定されていた。



引用文献:  注 「渡り飛ぶ白鳥たち」(『タゴール詩選3』所収)片山敏彦訳、アポロン