小説「新・人間革命」 宝冠2 7月16日

 山本伸一の一行がモスクワのシェレメチェボ空港に到着したのは、現地時間の午後五時四十分であった。

 空港には、ソ日協会会長であるT・B・グジェンコ海運相、モスクワ大学のR・V・ホフロフ総長、対文連のA・M・レドフスキー副議長、ソ日協会のI・I・コワレンコ副会長、R・M・エセノフ作家同盟理事会書記など、多数の人びとが待っていた。

 出迎えの多くの人が、これまでの伸一との交流を通して、近しい友人となっていた。

 グジェンコ海運相は初対面ながら、親友との再会を喜ぶように、満面の笑みで伸一を歓迎してくれた。

 伸一は、ソ日協会のコワレンコ副会長と握手を交わした時、微笑みを浮かべて言った。

 「また、今回も大いに議論しましょう。夜を徹してやろうではありませんか。日本に帰ってから眠りますから」

 コワレンコは、対日外交で強硬姿勢を貫くことで知られる、党中央委員会国際部のメンバーである。彼を「強面」と敬遠する日本人も少なくなかった。そのコワレンコが、相好を崩し、声をあげて笑って答えた。

 「再会の日を待っておりました。お元気な山本先生とお会いできて嬉しく思います」

 前回の訪問で、何度か忌憚のない対話を交わすなかで、深い友情と強い信頼の絆が結ばれていたのだ。直接会って、語り合うという行動が、心の扉を開き、相互理解を深め、不信を信頼へと変えていくカギとなるのだ。

 今回の訪ソ団には、婦人部、男女青年部、ドクター部の代表、創価大学民音民主音楽協会の略称)、富士美術館の代表が加わっていた。伸一は、ソ連との重層的な交流をさらに推進するために、それぞれの分野の代表と共に訪ソしたのである。

 彼は、どうすれば、日ソ間に、新しい橋を架け、さらに交流の道を広げることができるかを常に考え、次々と布石を重ねようとしていた。現状維持に甘んじ、新しき挑戦を忘れるならば、事態の進展はない。