小説「新・人間革命」 宝冠3  7月17日

 山本伸一は、真心の歓迎に深謝しながら、出迎えの人たちと、しばらく懇談した。

 前回の訪問で一行の世話をしてくれた、モスクワ大学で日本語を学ぶ学生たちの、元気な笑顔もあった。彼らの多くは、伸一の第一次訪ソのあと、日本に留学し、滞在中、伸一と交流を深めてきた。

 伸一が、一言、声をかけると、屈託のない笑いを浮かべ、流暢な日本語が返ってきた。

 「山本先生、日本では大変にお世話になりました。先生のご恩は忘れません。私たちのことを、モスクワの息子であると思って、どんなことでも言いつけてください」

 「おお、すばらしい! 日本語の目覚ましい上達に感嘆しました。もはや日本人以上です。私にも日本語を教えてください」

 笑いが広がった。

 それから一行は、車で宿舎のロシアホテルに向かった。

 モスクワの街は、新緑が鮮やかであった。

 昨年訪れた九月は、木々の葉が黄金に輝く金秋の季節であった。五月のモスクワは、緑と花の希望の季節である。

 ホテルでは、訪ソ団一行の打ち合わせが遅くまで続いた。伸一は、力をこめて訴えた。

 「今回は第二次の訪ソとなるが、二回目というのは極めて重要です。今後の流れが決まってしまうからです。対話だって、二の句が継げなければ、それで終わってしまう。この二の句に対話の進展がかかっている。

 二回目を成功させるには、どうすればよいか。それには、前回と同じことを、ただ繰り返すのではなく、一つ一つの物事を、すべて前進、発展させていくことです。

 高村光太郎の詩のなかに、『僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る』(注)とあるが、私たちが、まさにそうです。

 創価大学も、民音も、富士美術館も、また婦人部も、青年部も、“今こそ日ソ友好の新しい歴史を開くぞ!”と決めて、情熱を燃やし、真剣勝負で臨むことです。形式的、儀礼的な交流は惰性です。それでは失敗です」



引用文献:  注 「道程」(『近代の詩人4 高村光太郎』所収)中村稔編、潮出版社