小説「新・人間革命」  11月22日 新世紀5

戸田城聖が第二代会長に就任しても、しばらくは学会の経済的基盤は確立できず、独立した本部の建物をもつことはできなかった。

 戸田の会社の事務所があった、東京・千代田区西神田の建物の一部を、本部として使っていたのである。

 戸田は、会員のために、一刻も早く、広い立派な建物をつくりたいと念願していた。皆に申し訳ない気持ちさえ、いだいていた。

 しかし、そんな戸田の心も知らず、「学会も早く本部をつくらなければ、何をやるにも不便で仕方ありませんな。そろそろ、世間があっと驚くような、建物の一つももちたいものですね」などと言う幹部もいた。

 すると、戸田は強い口調で語った。

 「まだよい。かたちばかりに目を奪われるな。私のいるところが本部だ! それで十分じゃないか。今は建物のことより、組織を盤石にすることを考えなさい」

 山本伸一は、そんな戸田の言葉を聞くたびに、心に誓っていた。

 “先生、私が頑張ります。一日も早く、気兼ねなく皆が集える、独立した本部をもてるようにいたします”

 一九五三年(昭和二十八年)十一月、新宿区信濃町に学会本部が誕生した時、戸田はまるで、子どものような喜びようであった。

 「遂にできたな! すごいじゃないか。創価の大城だ。これからは、ここで私が指揮を執る。朝から晩まで、同志は自由に集って来られる。広宣流布は破竹の勢いで進むぞ!」

 それは、弟子の誓いの結実であった。

 新本部といっても、大広間が、わずか七十畳ほどの広さである。しかし、この新本部の誕生を境に、広宣流布の前進は、一段と加速していったのだ。戸田は伸一に言った。

 「将来は、日本中に、こんな会館が建つようにしたいな」

 伸一は、その言葉を生命に刻んだ。

 そして今、かつての学会本部をはるかにしのぐ、幾つもの大会館を、各県区に、つくれるようになったのである。