小説「新・人間革命」  12月22日 新世紀29

山本伸一は、さらに戸田城聖の、豪放磊落な人間像に触れたあと、こう記した。

 「私は戸田城聖という人間を知り、その人間から仏法を教えられたのです。私の場合、決して信仰というものが先ではなかった。

戸田先生を知って仏法を知ったのであり、仏法を知って戸田先生を知ったのではありません。

 私がなぜこうしたことを申し上げるかといいますと、実はここに社会万般をつなぐ軸のようなものがあると思うからなのです。

 つまり人間があってすべてが始まるという、単純なことかもしれませんが、私はこのことが実際には忘れ去られているような気がしてなりません。

 権威とか名声とか、形式が優先した社会というのを私は好みません。もっと人間そのものが前面に出て、人間と人間の打ち合いといえばいいのでしょうか、

そこから混沌の時代や人間関係の希薄さを破る端緒が開けるようにも思えるのです」

 宗教の根本は法である。しかし、生き生きとした宗教の脈動、生きた哲学は、人間と人間の触れ合いを通して伝わるものだ。

ましてや、人間を離れたヒューマニズムの宗教など、あろうはずがない。そして、その根幹こそが師弟という人間の絆である。

 伸一は、井上靖に、自分の胸中を、ありのままに吐露していった。

 「私の心の中には、いつも戸田城聖という人格がありました。それは生きつづけ、時に黙して見守りながら、時に無言の声を発するのです。生命と生命の共鳴というのでしょうか」

 師は、師弟の道を貫かんとする弟子の心のなかに、永遠に生き続ける。

 井上は、こう返書につづってきた。

 「たいへん心を打たれました。一つの大きな人格に出会い、その人間と思想に共鳴し、傾倒して、ご自分が生涯進む道をお決めになり、しかも終生その人格に対する尊敬と愛情を持ち続けられるということは、そうたくさんあることではないと思います」

 師をもつ人は幸せである。