きょうの聖教新聞  2009・1・11

★名字の言

▼牧口初代会長が、獄中で精読したカントは、人間が陥りやすい究極の、かつ見分けがたい「悪」を考察した。我執(エゴイズム)が「うぬぼれ」となって現れるときである

▼弱者の味方のような顔をして、世間の喝采を浴びながら、ひそかに自らの名誉欲を満たす。なまじ賢く如才ない、そうした連中を、カントは忌み嫌ったという(中島義道著『悪について』岩波新書から)

▼仏法で説く「僣聖増上慢」の姿にも似ている。僣とは“悪賢い”との意。聖者のように振る舞うものの、内心は狡猾で、名聞冥利を求めてやまない

▼このような計算高い「うぬぼれ」に、どう対処するか。カントは「たたきのめす」しかないと考えた。理詰めの訓戒などで、片が付く代物ではないからだ。“自分はこれだけやっているのだ”という、おそらく本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ。それを厳しく打ち破ることができるのは、やはり「師匠」をおいてほかにいない

▼師の叱咤激励は、弟子たちをして「もっと偉大な、もっと尊高な力」に気づかせ、「元初の師弟の誓い」に目覚めさせるため(「随筆 人間世紀の光」6日付)-創価三代の師弟の道こそ、無上にして未曾有の「人間の道」である。( 英 )

★韓国 光州広域市 南区からSGI会長夫妻に特別顕彰牌
 

創価大学・女子短大 栄光大会
 全員が青春の勝利者

  いざ立たむ
    君も創大
      私も創大

  創大を
    出でなむ我らは
        勝ちまくれ

★わが友に贈る
 人生は境涯の劇だ。
 あの友・この友に
 仏縁を広げよう!
 “太陽の心”で
 颯爽と飛び出せ!