小説「新・人間革命」  1月16日 新世紀47

自社を優良企業に育てた松下幸之助には、“ダム経営”と呼ぶ経営理念があった。ダムに水をためておくように、たとえば、資金や設備、人材も、常に一定の余裕をもつべきであるとの考え方だ。

 しかし、日本の国は、予算は毎年使い切るという考えに立ち、年度内に「消化」しようとするために、無駄な使い方もする。

 そうではなく、仕事を効率的に行い、予算を節約して余らせ、それを積み立てて運用する。百年もすれば、政府を運営できるだけの剰余金がたまって、税金がいらなくなる。さらには、収益を国民に分配さえしていけるようになるというのだ。それは、税金の無駄遣いを生む官庁の在り方の改革でもあった。

 この提案は、強い批判を浴び、国家として検討されることもなかった。

 その後、日本は、“無税国家”とは正反対の、莫大な“借金国家”となっていくのである。未来の在り方を真摯に探求する民間の賢人の声に、為政者は謙虚に耳を傾けるべきだ。

  

 「真々庵」での会談後も、山本伸一と松下の交流は続いた。請われて伸一が御書の講義をしたこともあった。一九七三年(昭和四十八年)四月には、伸一は松下の招きを受け、大阪・門真市松下電器産業本社を見学した。

 健康が優れなかった松下は、三週間ほど前から病院で静養して体調を整え、三日前から毎日、案内するコースを下見した。そして、落ち度がないように、細かな指示を出した。彼は誠心の接客に徹していたのだ。

 伸一は、ラジオ工場や音響研究所などを見て回り、懇談した。近代的な大工場であったが、社の“精神”を極めて大切にしていた。

 毎日、始業時には、全員が立って社の歌を合唱し、遵奉すべき精神などを唱和するのが伝統になっているという。

 伸一は、大事なことであると思った。精神が失われるということは、原点、目的が見失われるということだ。精神が生き生きと脈打っていてこそ、真の向上、発展もある。