小説「新・人間革命」  1月27日 潮流2

ハワイでは、七年前の一九六八年(昭和四十三年)八月にも、全米総会を開催していたが、今回の総会は会場も室内ではなく、ワイキキビーチである。

いわば、社会に大きく開かれた、地域ぐるみの大イベントであった。

 山本伸一は、ハワイ初訪問から十五周年となる今回の「ブルー・ハワイ・コンベンション」に、さまざまな応援をしてきた。

 このハワイでの全米総会は、前年の三月に発表された。翌四月に行われたサンディエゴ・コンベンションに出席した伸一は、日本への帰途、ハワイに立ち寄り、全精魂を注いでメンバーを激励した。

全米から参加者を受け入れる開催地の運営の苦労を、よくわかっていたからである。

 彼は、寸暇を惜しんで、一人ひとりの奮起を願い、励ましの揮毫の筆を執り続けた。

また、この時に行われた、地元メンバーとの交歓の集いを、「一九七五――プレ・ハワイ・コンベンション」とし、皆と一緒に希望のスタートを切った。

 さらに、伸一は、七五年(同五十年)の一月、ロサンゼルスから、SGI(創価学会インタナショナル)の発足となるグアムでの第一回「世界平和会議」に向かう折にも、ハワイを訪問。代表のメンバーと協議を重ね、コンベンションの打ち合わせを行う一方、ジョージ・アリヨシ州知事を表敬訪問し、行事への理解と協力を求めた。

 アリヨシは、前年の十二月、日系人として初めて州知事に就任した、四十八歳の期待のリーダーであった。知事はハワイでのコンベンション開催を歓迎し、全面的な協力を約束してくれたのである。

 “平和のため、広宣流布のために、奮闘する同志がいる限り、身を粉にして守り抜く。見えないところで、幾重にも手を打つ。そして、必ず大成功させ、勝利させてみせる!”

 それが伸一の決意であった。事実、彼は、常にメンバーのために、陰であらゆる手を打ってきた。その炎のごとき一念と行動こそが、学会の前進の原動力となってきたのである。