小説「新・人間革命」  2月25日 潮流26

広島のメンバーは思っていた。

 ――世界初の原爆投下の地である広島の私たちと、日米開戦の地・ハワイの人びとが友情で結ばれるなかに真実の平和がある。「ヒロシマの心」とは「平和の心」であり、それは「創価の心」だ。

だから、私たちには、世界平和への波を起こしていく使命がある。

 山本伸一の指導に決意を新たにしたメンバーは、早速、ハワイの人びとと、盛んに対話を交わしていった。ワイキキの浜辺でも、周囲の人たちに気さくに声をかけた。

 なかでも婦人部は最も積極的であった。といっても、自在に英語を操れるわけではない。しかし、身振り、手振りの語らいで意思の疎通が図れることが少なくなかった。

 「アイ、私ね、フロム・ヒロシマ。ユー・ノウ・ヒロシマ? 原爆、ピカドンね」

 話しかけられた相手の婦人は「オオッ、ヒロシマ!」と言って頷いた。

 さらに、「ユーは、ジャパニーズに似とるが、どこから来ちゃったんかね」と、何度か尋ねると、「コリア」との答えが返ってきた。

 「はあはあ、氷屋さんね。近くで氷屋さんをやっとってんじゃ。今度、行くけえ」

 相手の婦人は、氷店を営んでいるわけではない。韓国から来た観光客であった。

 こんな誤解はあったものの、語らいを通して、「平和を実現していこう」というメンバーの心意気は伝わり、時には住所を交換したりしながら、固い握手を交わして別れるのであった。

仏法者としての使命感が、言葉の壁を超えて、心の交流を可能にしたのだ。

 友の心の扉を開く力の源泉は、懸命な一念である。使命に燃える、躍動する生命である。

 メンバーのなかには、何人もの被爆者がいた。広島グループの団長を務める徳田信八郎も、尋常小学校の六年の時に、故郷の長崎で被爆した。

爆心地から二キロ半ほどのところにある家での被爆であったが、山の谷間にあったために、命拾いしたのである。

 学校の校庭では、来る日も来る日も死体が焼かれ、異臭はいつまでも消えなかった。