小説「新・人間革命」 2月27日 潮流28

戸田城聖の「原水爆禁止宣言」を、松矢文枝は、身の震える思いで聞いた。

 彼女は、帰りの列車のなかで、こう決意したのであった。

 “被爆者である私には、原爆の悲惨さを訴え、平和のために尽くし抜いていく使命があったのだ。

仏法を持った私がすることは、アメリカを憎むことではない。この弱い体を元気にして、原爆を使用することは絶対悪であるという戸田先生の思想を、生命の尊さを説く仏法を、弘め抜いていくことだ”

 松矢は、被爆という宿命を使命に転じて、決然と立ったのである。いや、松矢だけでなく、それが広島の、また、長崎の同志たちの決意であったのだ。

 仏法では「願兼於業」(願、業を兼ぬ)と説く。自ら願って、悪世に生まれて妙法を弘通することをいう。

 われらは本来、末法濁悪の世に妙法を弘めんがために出現した、地涌の菩薩である。そのために、自ら願い求めて、あえて苦悩多き宿命を背負い、妙法の偉大さを証明せんと、この世に出現したのだ。

 ゆえに、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布に生き抜くならば、転換できぬ宿命など、絶対にないのだ。

 松矢は、喜々として広宣流布に励むようになると、日ごとに、元気になっていった。

また、胎内被爆した長男は、中学生になると、皮膚や粘膜に出血を起こす紫斑病を発病したが、やがて、それも克服することができた。

 学会活動のなかで、彼女が心掛けてきたことは、自分の接した人を大切にすることであった。そこに、仏法の実践があり、平和への道があると、彼女は考えたからだ。

 そして、そのために、人の長所を見いだせる自分になろうと思った。

それには、自分を磨くしかないと結論し、常に唱題を重ねてきた。自分の生命が澄んだ鏡のようになれば、人の長所が映し出されるからだ。

 一個の人間の、自分自身の「人間革命」から、「世界の平和」が始まるのである。