【第2回】 人間主義の王者 ゲーテ 2009-3-15
“ゲーテは『勇気』を教えてくれる,と感謝したのは、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンであった。
時を超え、国を超えて、永遠の青年ゲーテとの心の対話は「勇気」を広げる。
1981年の5月1B曰、私はそんな思いを胸に、欧州の若き友らと、ドイツのフランクフルトにあるゲーテの生家を訪ねた。
それは、5階建ての堂々たる家屋だった。第2次世界大戦で破壊されたが、立派に復元されていた。
建物の正面などは、空襲で倒壊した煉瓦が利用されている。暴力の蛮行に屈してたまるか。文化の不滅の宝を死守してみせるー誇り高き精神が光っていた。
一つの示唆を得た私は後年、 SGI(創価学会インタナショナル)の友に提案した。
ヨーロッパの歴史的建造物を我々の手で修復・保護し、地域の交友の広場、平和と文化のセンターとして新しい命を吹き込もう、と。
ドイツ・ピンゲン市l=ある「ヴィラ・ザクセン総合文化センター」も、その一つ。
「ここから見るライン河が一番美しい」とゲーテが讃えた景勝の地に立つ。
150年の歴史を誇る市の重要文化財を、 SGIメンバーの手で約2年かけて改修。毎年の「一般公開曰」には多くの市民が訪れ、憩いの場として親しまれている。
仏法と一致する
この総合文化センターで、ゲーテ生誕250周年の1999年には、多彩な記念行事が行われた。
高名なゲーテ研究家のマンフレット.オステン博士も、講演してくださった。
在日ドイツ大使館に勤務されていた際、お会いしたことが懐かしい碩学である。
博士は講演で、興味深い論考を発表された。ゲーテは来世を,言じ、一瞬の中に永遠を感得するなど、仏教に近い生命観、時空観を持っていたと言われるのだ。
たしかにゲーテは「わたしには永遠の生命がある」(前田敬作.今村孝訳
「ヴイルヘルム・マイスターの修業時代」、潮出版社『ゲーテ全集7』所収)と明確に綴り残している。
さらにオステン博士は、こうも鋭く考察された。
「ゲーテは、感謝(報恩)を、私たちがこの世において到達できる最も高い価値であると見なしていました。これは、仏教思想に密接に結びついていると考えられるのです」
永遠の生命、そして報恩感謝の人生一西洋の最高峰の巨人が見定めていた道は、なんと清々しく仏法と一致していることか。
求道と鍛錬の道
「有能な大家はすぐれた弟子を呼びさまし、弟子たちの活動は、さらに枝葉を無限に伸ばしてゆく」(芦津丈夫訳「芸術論」、潮出版社『ゲーテ全集13』所収)とは、ゲーテの師弟観であった。
ゲーテが師匠と仰ぐ思想家ヘルダーと出会ったのは21歳。師の薫陶は強烈であった。叱られることは日常茶飯事。それも罵倒のような激しさであった。
だが、ベーテは怯まず、臆さず、果敢にぶつかった。
「ただの一日として、私にきわめて有益な教訓を受けない日はななかった」(山崎章甫・河原忠彦「詩と真実」潮出版社『ゲーテ全集9』所収)
「弟子の道」に徹し抜く青春は、黄金の魂を鍛える。
戸田城聖先生に初めてお会いした時、私は19歳。その前日、友人たちとの読書会で取り上げた教材はゲーテであった。
求道と鍛錬を貫いたゲーテの光跡は、私の規範ともなった。
わが師も、それは厳しかった。皆、恐れをなして逃げ出した。しかし、私は引かなかった。真正の弟子となると決めていたからだ。
男は独り立つ!
ゲーテは、生き生きと師へルダーを語り、その偉大さを宣揚していった。
ヘルダーは大論文を執筆中、陰険な妨害に遭った。困難に疲弊する師を守り、支え、間断なく勇気づけたのも、弟子ゲーテであった。善良な師匠が騙され、金銭のトラブルに巻き込まれた際には、烈火の如く怒り、正義の炎を燃やした。その苦境を一身に担い立って、解決に奔走したのである。
この愛弟子をヘルダーは「私の会いたく思う唯一の人間」(ピーダーマン編、大野俊一訳『ゲーテ対話録1』白水社)と語り、誉れとした。
その師弟の心の呼吸が、痛いほど胸に迫る。
ゲーテは言い切った。
「男は独り立つ!(柴田翔訳『ファウスト』講談社)
私も恩師の事業が挫折した絶体絶命の時代に、一人、師をお守りし抜いた。
師が背負った莫大な借金も、すべて返済の道を開いた。事実無根の中傷記事には、電光石火で抗議に走った。
戸田先生は私に、「大作さえ、いてくれれば大丈夫だ。おれは、本当にいい弟子を持った」と会心の笑みを浮かべておられた。
人間は、もっと気高く強くなれる。もっと大きく豊かに生きられると、ゲーテは語り綴り、示していった。
青年時代の傑作『若きウェルテルの悩み』から、世界文学の最高峰『ファウスト』に至るまで、迸り出た創作活動は、全143巻の全集に収められている。
科学者として、形態学や色彩論、植物学、地質学等、自然と生命の探究を切り開いた。
教育者として、イェーナ大学を大発展させ、全国の人材育成に貢献した。
あえて政治にも関わった。ワイマールの宰相となり、人道主義の精神を漲らせ、民衆の福祉を推進した。
その多次元の業績を讃えて、ゲーテは「あらゆる人間のなかのもっとも人間らしい人間」(ピルショフスキ薯、高橋義孝・佐藤正樹訳『ゲーテーその生涯と作品』岩波書店)と評されている。
それは、死闘の中で勝ち取られた。ゲーテ自身が、「人間」とは「戦い人」の異名なりと達観していた。
家族との相次ぐ死別、自らの大病、嫉妬の誹誇や策略......。〉夫々に襲いかかる試練に、「いちかばちかの戦いを力の限り続ける以外にはありませんでした。そのようにして私は今日までどうにか切りぬけてきました」(小栗浩ほか訳『ゲーテ全集15』潮出版社、傍点は編集部)と振り返っている。
ルネサンスの人
昨年の10月、日本を代表するゲーテ研究の大家・山下肇先生が天寿を全うされた。真心には真心で応える、ゲーテの精神を体現された至誠の人であられた。
この山下先生は、少年時代、戸田先生が創立された目黒の有名な学習塾「時習学館」で学ばれた一人である。
山下先生は、常々、嘆かれていた。日本人は小さくなってしまった。失われた人間性をどうやって取り戻すのか。今こそ「ゲーテ的な生き方」が希求されている、と。
ゲーテ的な生き方-それは、時代の変革期に、あらゆる可能性を自力
で試し、何事も自分の力で無から創造していくルネサンス人の生き方である。
このゲーテの人生哲学に通じると山下先生が深く敬愛されていたのが、恩師・戸田先生の信念であった。
「戸田先生は戦前・戦中・戦後の乱世にルネサンス的な生き方をされていました。新しい時代に、新しい夢と希望を築き上げるため、前へ前へと邁進されていった。その戸田先生の情熱が今日の創価学会の隆盛につながったと思います」
山下先生が、わが青年部にゲーテとシラーの如き友情を期待してくださったことも、忘れ難い。
ゲーテの人間主義は、一人を大切にする行動に表れた。目の前にいる人間の心の善性を信じて、緑を結ぶ友l=深き人間愛を注いだ。
ゲーテは、友を励ました。「勇気をなくしてはいけない。私もしじゆう奮い立って、精を出したものですよ」(前出『ゲーテ対話録1』)
風雪を越えたゲーテの顔は、王者の風格を湛えていた。英国の歴史家カーライルは、師と慕う彼の尊容を「頑強に闘った人間」「真に苦労した人物」(神吉三郎訳『ゲーテ論』育生社、現代表記に改めた)と仰いだ。
師弟、正義、そして闘争ーこの生命の正道を、艱難に耐えて歩み通した人生のみが融合できる、宇宙の奥深き法則の次元がある。
元気に飛び出せ
ゲーテは青年を愛し、人材を育てた。人類が世代を超え、「正義と真実」を継承することを折り続けた。
「若者は戦いによって力を鍛え、自分の真価を知り、やがて自信も湧いてくる」(小栗浩訳「トルクヴァート・タッソー」、潮出版社『ゲーテ全集5』所収)とゲーテは謳い上げた。
青年を信じ、あの「3・16」に、広宜流布の後継を託された恩師の心と通ずる。
ゲーテは呼びかけた。
「思いきりよく、元気に飛び出せ」「太陽をよろこぶところ/どのような憂いもない/われらが世界に散らばるように/そのためにこそ世界はこんなにも広いのだ」(登張正實訳「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」、潮出版社『ゲーテ全集8』所収)
ドイツ・アデナウアー財団の創設者の一人バルト博士が、かつて創価大学の新入生に贈ってくれた箴言である。
出会いをつくろう!
対話の地図を広げよう!
人間とつながり、人間とぶつかり、人間と語り合いながら、刻々と自分自身を再生させたゲーテの如く!
正義と友情の生命のルネサンスを勝ち取るために!
君シラー 我はゲーテと 創価かな
本文中に明記した以外の主な参考文献=生野幸吉ほか訳『ゲーテ全集』潮出版社、木村謹治著『「若きゲーテ」研究』弘文堂書房、グンドルフ著.小□優訳『若きゲーテ』未来社、高橋義人編訳・前田富士男訳『自然と象徴自然科学論集 ゲーテ』冨山房、小西悟著『現代に生きるファウスト』日本放送出版協会、坂井栄八郎著『ゲーテとその時代』朝日新聞社、手塚富雄・国松孝二訳『シュヴァイツァー薯作集6』白水社、エッカーマン著・山下肇訳『ゲーテとの対話』岩波書店
時を超え、国を超えて、永遠の青年ゲーテとの心の対話は「勇気」を広げる。
1981年の5月1B曰、私はそんな思いを胸に、欧州の若き友らと、ドイツのフランクフルトにあるゲーテの生家を訪ねた。
それは、5階建ての堂々たる家屋だった。第2次世界大戦で破壊されたが、立派に復元されていた。
建物の正面などは、空襲で倒壊した煉瓦が利用されている。暴力の蛮行に屈してたまるか。文化の不滅の宝を死守してみせるー誇り高き精神が光っていた。
一つの示唆を得た私は後年、 SGI(創価学会インタナショナル)の友に提案した。
ヨーロッパの歴史的建造物を我々の手で修復・保護し、地域の交友の広場、平和と文化のセンターとして新しい命を吹き込もう、と。
ドイツ・ピンゲン市l=ある「ヴィラ・ザクセン総合文化センター」も、その一つ。
「ここから見るライン河が一番美しい」とゲーテが讃えた景勝の地に立つ。
150年の歴史を誇る市の重要文化財を、 SGIメンバーの手で約2年かけて改修。毎年の「一般公開曰」には多くの市民が訪れ、憩いの場として親しまれている。
仏法と一致する
この総合文化センターで、ゲーテ生誕250周年の1999年には、多彩な記念行事が行われた。
高名なゲーテ研究家のマンフレット.オステン博士も、講演してくださった。
在日ドイツ大使館に勤務されていた際、お会いしたことが懐かしい碩学である。
博士は講演で、興味深い論考を発表された。ゲーテは来世を,言じ、一瞬の中に永遠を感得するなど、仏教に近い生命観、時空観を持っていたと言われるのだ。
たしかにゲーテは「わたしには永遠の生命がある」(前田敬作.今村孝訳
「ヴイルヘルム・マイスターの修業時代」、潮出版社『ゲーテ全集7』所収)と明確に綴り残している。
さらにオステン博士は、こうも鋭く考察された。
「ゲーテは、感謝(報恩)を、私たちがこの世において到達できる最も高い価値であると見なしていました。これは、仏教思想に密接に結びついていると考えられるのです」
永遠の生命、そして報恩感謝の人生一西洋の最高峰の巨人が見定めていた道は、なんと清々しく仏法と一致していることか。
求道と鍛錬の道
「有能な大家はすぐれた弟子を呼びさまし、弟子たちの活動は、さらに枝葉を無限に伸ばしてゆく」(芦津丈夫訳「芸術論」、潮出版社『ゲーテ全集13』所収)とは、ゲーテの師弟観であった。
ゲーテが師匠と仰ぐ思想家ヘルダーと出会ったのは21歳。師の薫陶は強烈であった。叱られることは日常茶飯事。それも罵倒のような激しさであった。
だが、ベーテは怯まず、臆さず、果敢にぶつかった。
「ただの一日として、私にきわめて有益な教訓を受けない日はななかった」(山崎章甫・河原忠彦「詩と真実」潮出版社『ゲーテ全集9』所収)
「弟子の道」に徹し抜く青春は、黄金の魂を鍛える。
戸田城聖先生に初めてお会いした時、私は19歳。その前日、友人たちとの読書会で取り上げた教材はゲーテであった。
求道と鍛錬を貫いたゲーテの光跡は、私の規範ともなった。
わが師も、それは厳しかった。皆、恐れをなして逃げ出した。しかし、私は引かなかった。真正の弟子となると決めていたからだ。
男は独り立つ!
ゲーテは、生き生きと師へルダーを語り、その偉大さを宣揚していった。
ヘルダーは大論文を執筆中、陰険な妨害に遭った。困難に疲弊する師を守り、支え、間断なく勇気づけたのも、弟子ゲーテであった。善良な師匠が騙され、金銭のトラブルに巻き込まれた際には、烈火の如く怒り、正義の炎を燃やした。その苦境を一身に担い立って、解決に奔走したのである。
この愛弟子をヘルダーは「私の会いたく思う唯一の人間」(ピーダーマン編、大野俊一訳『ゲーテ対話録1』白水社)と語り、誉れとした。
その師弟の心の呼吸が、痛いほど胸に迫る。
ゲーテは言い切った。
「男は独り立つ!(柴田翔訳『ファウスト』講談社)
私も恩師の事業が挫折した絶体絶命の時代に、一人、師をお守りし抜いた。
師が背負った莫大な借金も、すべて返済の道を開いた。事実無根の中傷記事には、電光石火で抗議に走った。
戸田先生は私に、「大作さえ、いてくれれば大丈夫だ。おれは、本当にいい弟子を持った」と会心の笑みを浮かべておられた。
人間は、もっと気高く強くなれる。もっと大きく豊かに生きられると、ゲーテは語り綴り、示していった。
青年時代の傑作『若きウェルテルの悩み』から、世界文学の最高峰『ファウスト』に至るまで、迸り出た創作活動は、全143巻の全集に収められている。
科学者として、形態学や色彩論、植物学、地質学等、自然と生命の探究を切り開いた。
教育者として、イェーナ大学を大発展させ、全国の人材育成に貢献した。
あえて政治にも関わった。ワイマールの宰相となり、人道主義の精神を漲らせ、民衆の福祉を推進した。
その多次元の業績を讃えて、ゲーテは「あらゆる人間のなかのもっとも人間らしい人間」(ピルショフスキ薯、高橋義孝・佐藤正樹訳『ゲーテーその生涯と作品』岩波書店)と評されている。
それは、死闘の中で勝ち取られた。ゲーテ自身が、「人間」とは「戦い人」の異名なりと達観していた。
家族との相次ぐ死別、自らの大病、嫉妬の誹誇や策略......。〉夫々に襲いかかる試練に、「いちかばちかの戦いを力の限り続ける以外にはありませんでした。そのようにして私は今日までどうにか切りぬけてきました」(小栗浩ほか訳『ゲーテ全集15』潮出版社、傍点は編集部)と振り返っている。
ルネサンスの人
昨年の10月、日本を代表するゲーテ研究の大家・山下肇先生が天寿を全うされた。真心には真心で応える、ゲーテの精神を体現された至誠の人であられた。
この山下先生は、少年時代、戸田先生が創立された目黒の有名な学習塾「時習学館」で学ばれた一人である。
山下先生は、常々、嘆かれていた。日本人は小さくなってしまった。失われた人間性をどうやって取り戻すのか。今こそ「ゲーテ的な生き方」が希求されている、と。
ゲーテ的な生き方-それは、時代の変革期に、あらゆる可能性を自力
で試し、何事も自分の力で無から創造していくルネサンス人の生き方である。
このゲーテの人生哲学に通じると山下先生が深く敬愛されていたのが、恩師・戸田先生の信念であった。
「戸田先生は戦前・戦中・戦後の乱世にルネサンス的な生き方をされていました。新しい時代に、新しい夢と希望を築き上げるため、前へ前へと邁進されていった。その戸田先生の情熱が今日の創価学会の隆盛につながったと思います」
山下先生が、わが青年部にゲーテとシラーの如き友情を期待してくださったことも、忘れ難い。
ゲーテの人間主義は、一人を大切にする行動に表れた。目の前にいる人間の心の善性を信じて、緑を結ぶ友l=深き人間愛を注いだ。
ゲーテは、友を励ました。「勇気をなくしてはいけない。私もしじゆう奮い立って、精を出したものですよ」(前出『ゲーテ対話録1』)
風雪を越えたゲーテの顔は、王者の風格を湛えていた。英国の歴史家カーライルは、師と慕う彼の尊容を「頑強に闘った人間」「真に苦労した人物」(神吉三郎訳『ゲーテ論』育生社、現代表記に改めた)と仰いだ。
師弟、正義、そして闘争ーこの生命の正道を、艱難に耐えて歩み通した人生のみが融合できる、宇宙の奥深き法則の次元がある。
元気に飛び出せ
ゲーテは青年を愛し、人材を育てた。人類が世代を超え、「正義と真実」を継承することを折り続けた。
「若者は戦いによって力を鍛え、自分の真価を知り、やがて自信も湧いてくる」(小栗浩訳「トルクヴァート・タッソー」、潮出版社『ゲーテ全集5』所収)とゲーテは謳い上げた。
青年を信じ、あの「3・16」に、広宜流布の後継を託された恩師の心と通ずる。
ゲーテは呼びかけた。
「思いきりよく、元気に飛び出せ」「太陽をよろこぶところ/どのような憂いもない/われらが世界に散らばるように/そのためにこそ世界はこんなにも広いのだ」(登張正實訳「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」、潮出版社『ゲーテ全集8』所収)
ドイツ・アデナウアー財団の創設者の一人バルト博士が、かつて創価大学の新入生に贈ってくれた箴言である。
出会いをつくろう!
対話の地図を広げよう!
人間とつながり、人間とぶつかり、人間と語り合いながら、刻々と自分自身を再生させたゲーテの如く!
正義と友情の生命のルネサンスを勝ち取るために!
君シラー 我はゲーテと 創価かな
本文中に明記した以外の主な参考文献=生野幸吉ほか訳『ゲーテ全集』潮出版社、木村謹治著『「若きゲーテ」研究』弘文堂書房、グンドルフ著.小□優訳『若きゲーテ』未来社、高橋義人編訳・前田富士男訳『自然と象徴自然科学論集 ゲーテ』冨山房、小西悟著『現代に生きるファウスト』日本放送出版協会、坂井栄八郎著『ゲーテとその時代』朝日新聞社、手塚富雄・国松孝二訳『シュヴァイツァー薯作集6』白水社、エッカーマン著・山下肇訳『ゲーテとの対話』岩波書店