小説「新・人間革命」  5月27日 波濤37

「波濤会」メンバーから、「極東大学では、『波濤会』の写真展を開催しようと言っております」との報告を聞き、戸惑ったのは、学会本部の首脳たちであった。

 極東大学に打診する前に、学会本部とよく連携を取り、一つ一つ判断を仰いで事を進めるのが、鉄則である。

 「波濤会」が学会の人材育成グループである限り、事は、創価学会と極東大学、創価学会とロシアという問題になるからだ。

 当時、ロシアでは、ソ連崩壊後の社会的な混乱が続いていた。そのなかにあって、極東大学で写真展を開催することに、学会本部の首脳たちは、慎重にならざるをえなかった。

 だが、その話を聞いた山本伸一は言った。

 「みんなが頑張って、流れを開いたんだ。実現させてあげたいね。私も全面的に応援します。また、私の方から、学会の執行部にもお願いしてみよう」

 伸一は、自分と同じ心で、平和・文化交流の道を切り開こうとするメンバーの意志を、何よりも大事にしたかったのである。

 そして、極東大学と「波濤会」の共催による、ロシア共和国ウラジオストク市での写真展の開催が決まったのである。

 写真展は、一九九四年(平成六年)五月、極東大学の国際部展示室で行われた。多くの来賓、市民、学生らが鑑賞に訪れ、大好評を博した。地元紙やテレビも報道した。

 T・B・バジリエバ副市長は、「この写真展には、ロシアと日本、そして世界の文化があり、とてもすばらしい」と絶讃を惜しまなかった。

 極東国立海洋アカデミー(当時)のV・I・セディフ校長は、「民衆を文化で結ぶ、このような写真展を開催してくれた創価学会に、心から感謝したい」と感慨を込めて語った。

 さらに、来賓たちからは、「また、ぜひ開催を」との、強い要請もあった。

 師に応えようとの弟子の一念が、世界での初の写真展を実現したのだ。師弟の道に生きる時、無限の力と智慧がみなぎる。