小説「新・人間革命」  6月26日 波濤62

「青春会」のメンバーは、節目、節目には集い合って、総会や勤行会を行ってきた。

 山本伸一は、可能な限り、それらの集いにも出席し、皆の成長を見守ってきた。

 一九八五年(昭和六十年)九月、結成十周年を迎えた「青春会」のメンバーが、ぜひ、伸一に会いたいと、埼玉青年平和文化祭の会場である、川口市立芝スポーツセンターに集ってきた。

 このころ、彼は体調を崩し、歩くことさえ辛かった。しかし、平和文化祭に出席し、マイクを取って全力で参加者を励ました。

さらに、中国の要人ら来賓の応対も、誠心誠意行った。途中、身を横たえたくなるほど、体は疲れ果てていた。

 しかし、伸一は、なんとしても、「青春会」のメンバーと会い、励まそうと思った。

 彼は、二階から手すりにつかまり、ふらつきながら階段を下り、ロビーに集っていた彼女たちのもとへ向かったのである。

 メンバーのなかには、女子部時代に、女子部長をはじめ、副女子部長、方面女子部長など、組織の中枢幹部を務めてきた人も少なくない。

しかし、結成から十年がたち、メンバーの多くは、既に結婚し、婦人部の最前線組織の先頭に立って活躍していた。小さな子どもを抱えている人もいる。

 彼女たちにとっては、環境の大きな変化であり、試練の時代であるともいえよう。ここで、どう頑張り抜くかによって、広宣流布のリーダーとして、頭角を現していけるかどうかが、決定づけられてしまう。

いわば、人生の飛躍を決する正念場であった。だからこそ伸一は、彼女たちと会い、一言でも、激励の言葉をかけようと思ったのである。

 彼は、メンバーの前に来ると、全身の力を振り絞る思いで語った。

 「みんなと、会えて嬉しい。負けるな。じっと見ているよ。私は、あなたたちのことは、決して忘れません。『青春会』結成十五周年、二十周年の集いは、盛大にやろうよ」

 伸一は、目標を示したかったのである。