人間世紀の光 N0.193 「青年創価学会」の息吹 ㊦
◇ 人間世紀の光 N0.194 「青年創価学会」の息吹 ㊦ 2009-7-9
久遠より 同志か家族か 離れざる 三世の仲間の 正義の力よ
「異体同心」の中心軸は、信心である。妙法の信仰の絆で結ばれた同志であり、師弟なのである。
「十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(御書五一○ページ)
これは、私が折々に婦人部・女子部の友と拝した、「当体義抄」の一節だ。
日夜、現実の生活の労苦と格闘しながら、人びとのために尽くし続ける、最も尊責な女性たちである。
幸福は、どこか遠くにあるのではない。
創価の女性の心それ自体が「幸福の蓮華」であり、「体の生命の当体」であるとの大確信で、最高に仲良く朗らかな前進を、と祈りながら講義した。
さらに、四条金言夫妻を励まされた「王舍城事」も、幾度となく皆で拝した御文である。
「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよ(強)くしてつる(絃)よはく・太刀つるぎ(剣)にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし」(同二三八ページ)
創価のスクラムは、最強に勇気ある団結だ。
〃鐘をそっと打てば小さい反響しかない。大きく打てば大きく反響する!〃
ー講義する私の胸には、常に戸田先生の声が響き渡っていた。
ともあれ、「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。全身全霊で祈りをぶつけていけばよい。なかんずく広宣流布のため、異体同心で祈り抜き、祈り切る。
その時、十方にあまねく諸天が動き、護る。豁然として活路が開かれる。叶わぬ祈りは絶対にないのだ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚え候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
これが、創価の師弟が一体となって証明してきた仏法の功力である。
頑強な 巌も砕かむ 妙法の 力用出せや 我らは仏と
そして「師弟不二」「異体同心」に続く、第三の波動。
それは、「絶対勝利」への率先の行動である。
全リーダーが最前線に勇み出て、自らの広布の勝ち戦を切り開くことである。
広宣流布とは肉弾戦だ。
今も記憶に残る集いがある。その日は、理事就任から一カ月余の、昭和三十四年の夏八月六日であった。
広島の「原爆の日」である。
私は平和への祈りも深く、この日は、〃栄光の人材城〃中野支部の組座談会に出席した。
会場には、五十人ほどの方々が来られただろうか。
皆、真剣であった。
夜遅い仕事と学会活動の両立に悩む方がいた。
私は、自分自身の苦闘の体験を通して語った。
「真剣に祈ることです。必ず自由に学会闘争が出来るようになります!行きたいところに、行けるようになります!」
そして、ユーモアを交えて付け加えた。
「あまり、ほうぼうに行きすきて、私は牢獄にまで行っちゃったよ」
どっと爆笑が弾けた。
この二年前の七月、私は、あの「大阪事件」で、無実の罪を着せられ、勾留されたのである。裁判闘争も続いていた。御聖訓通りの三類の強敵との戦いであった。
だからこそ、社会の荒海に翻弄され、萎縮してしまいかねない友の心を励まし、強く大きく広げたかった。
皆、私と一緒に戦う同志だ。
権力の魔性の迫害さえも難らかに笑い飛ばしながら、私は、一人ひとりと民衆
勝利のうねりを起こしていったのである。
新来の友がおられた。終わりがけに声をかけると、即座に入会を決意され、大拍手が高
鳴った。
実はこの集いは、「中野支部・墨田地区」の座談会であった。
いわゆる〃タテ線〃の時代である。会場は、この墨田地区の地区部長・地区担当員のご夫妻が住む江東墨田地区の地区部長・地区担当員のご夫妻が住む江東区の地にあった。仲の良い、下町の人情あふれる、忘れ得ぬ同志たちだ。
人生はいかなる生きがい持ちゆくか創価の宝を持つ人勝ちたり何よりも嬉しいことは、
共に広宣流布の幾多の激戦を勝ち越えてきた同志が、今も燃え上がる学会精神で、生き生きと戦ってくださっていることだ。
何歳になろうとも、いかなる立場になろうとも、創価の勝利のため、力の限り、声の限り、語り抜いてみせる、と。あまりにも気高き仏の振る舞いだ。
私には日本中、世界中に、真の同志がいる。不二の弟子がいる。ゆえに、私は無上の幸福者である。
どんなに離れていようとも、心は一体だ。その友に届けと、私と妻はひたぶるに当日を送り続けている。
勝ちまくれ 若き生命の 血潮沸く 正義の君の 宝刀振り上げ
〃民衆の王者〃足立区ゆかりの大文豪森鴎外は、若き、医学会の変革者として試練に晒されながら、決然と叫んだ。
「吾 志は奪ふべからず」
信念の道を突き進む青年ほど、強いものはない。
私が対談したフランスの行動する知性アンドレ・マルロー氏が書き留めた、青年革命家の言葉がある。
「若さは人生の春であり、新芽の押し上げる力、発芽であり、開花である。年をとっても保持しなければならないのは、この活動力である」
「幸福勝利」「健康勝利」の妙法を朗々と唱え、はち切れんばかりの若々しい生命力で、奔流の如く進みゆく人は、皆、青年だ。
価値創造こそ青年の特権なり! ゆえに「創価」とは、青年の異名なのだ!
若き英雄・ヤング男子部よ走れ!
広布の華・池田華陽会よ輝け!
文化の香り高き世田谷区を拠点とした徳富蘆花は、少壮の時代に書き綴った。
「困難に打ち勝って道を開いて行くのは、つらくも楽しみなものです」
幾星霜を経ても、七月が巡り来るたびに、私の青年の魂が燃え上がる。
七月三日は、日本の敗戦の直前、恩師が出獄した日であり、その十二年後に私が入獄した日である。
また七月六日は、初代・二代の会長が逮捕された日その同じ七月に、恩師の慈愛に包まれ、わが男女青年部は結成されたのだ。
青年が躍動する学会!
青年が成長する学会!
青年が団結する学会!
そして、青年の偉大な力で、断固勝つ学会なのだ!
結びに、『若き日の日記』の一節を直系の諸君に贈りたい。「青年創価学会」の建設に突進するなかでの誓いである。
「口を真一文字にして進め。恐れるるな。おじけるな。そして己が信念と正義のため、突き進みゆけ。青年らしく・学会の先駆者の如く。まさに、東洋の王子らしく・革命児らしく。
かつは先生の第一の弟子らしくー」
「今、青年指導者たちが、勇敢に、突破口を開くか否かの、大事の秋となる」
断固して 共にこの世を 師と弟子で 広布と創価に 戦う嬉しさ
(随時、掲載いたします)
森鴎外の言葉は「鴎外全集29所収「敢えて天下の闘士に告く」(岩波書店)。マルローが記した言葉は柏倉康夫著『若き日のアンドレ・マルロー』(行路社)から。徳富蘆花は『小説思出の記』岩波嘗店)。
久遠より 同志か家族か 離れざる 三世の仲間の 正義の力よ
「異体同心」の中心軸は、信心である。妙法の信仰の絆で結ばれた同志であり、師弟なのである。
「十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(御書五一○ページ)
これは、私が折々に婦人部・女子部の友と拝した、「当体義抄」の一節だ。
日夜、現実の生活の労苦と格闘しながら、人びとのために尽くし続ける、最も尊責な女性たちである。
幸福は、どこか遠くにあるのではない。
創価の女性の心それ自体が「幸福の蓮華」であり、「体の生命の当体」であるとの大確信で、最高に仲良く朗らかな前進を、と祈りながら講義した。
さらに、四条金言夫妻を励まされた「王舍城事」も、幾度となく皆で拝した御文である。
「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよ(強)くしてつる(絃)よはく・太刀つるぎ(剣)にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし」(同二三八ページ)
創価のスクラムは、最強に勇気ある団結だ。
〃鐘をそっと打てば小さい反響しかない。大きく打てば大きく反響する!〃
ー講義する私の胸には、常に戸田先生の声が響き渡っていた。
ともあれ、「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。全身全霊で祈りをぶつけていけばよい。なかんずく広宣流布のため、異体同心で祈り抜き、祈り切る。
その時、十方にあまねく諸天が動き、護る。豁然として活路が開かれる。叶わぬ祈りは絶対にないのだ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚え候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
これが、創価の師弟が一体となって証明してきた仏法の功力である。
頑強な 巌も砕かむ 妙法の 力用出せや 我らは仏と
そして「師弟不二」「異体同心」に続く、第三の波動。
それは、「絶対勝利」への率先の行動である。
全リーダーが最前線に勇み出て、自らの広布の勝ち戦を切り開くことである。
広宣流布とは肉弾戦だ。
今も記憶に残る集いがある。その日は、理事就任から一カ月余の、昭和三十四年の夏八月六日であった。
広島の「原爆の日」である。
私は平和への祈りも深く、この日は、〃栄光の人材城〃中野支部の組座談会に出席した。
会場には、五十人ほどの方々が来られただろうか。
皆、真剣であった。
夜遅い仕事と学会活動の両立に悩む方がいた。
私は、自分自身の苦闘の体験を通して語った。
「真剣に祈ることです。必ず自由に学会闘争が出来るようになります!行きたいところに、行けるようになります!」
そして、ユーモアを交えて付け加えた。
「あまり、ほうぼうに行きすきて、私は牢獄にまで行っちゃったよ」
どっと爆笑が弾けた。
この二年前の七月、私は、あの「大阪事件」で、無実の罪を着せられ、勾留されたのである。裁判闘争も続いていた。御聖訓通りの三類の強敵との戦いであった。
だからこそ、社会の荒海に翻弄され、萎縮してしまいかねない友の心を励まし、強く大きく広げたかった。
皆、私と一緒に戦う同志だ。
権力の魔性の迫害さえも難らかに笑い飛ばしながら、私は、一人ひとりと民衆
勝利のうねりを起こしていったのである。
新来の友がおられた。終わりがけに声をかけると、即座に入会を決意され、大拍手が高
鳴った。
実はこの集いは、「中野支部・墨田地区」の座談会であった。
いわゆる〃タテ線〃の時代である。会場は、この墨田地区の地区部長・地区担当員のご夫妻が住む江東墨田地区の地区部長・地区担当員のご夫妻が住む江東区の地にあった。仲の良い、下町の人情あふれる、忘れ得ぬ同志たちだ。
人生はいかなる生きがい持ちゆくか創価の宝を持つ人勝ちたり何よりも嬉しいことは、
共に広宣流布の幾多の激戦を勝ち越えてきた同志が、今も燃え上がる学会精神で、生き生きと戦ってくださっていることだ。
何歳になろうとも、いかなる立場になろうとも、創価の勝利のため、力の限り、声の限り、語り抜いてみせる、と。あまりにも気高き仏の振る舞いだ。
私には日本中、世界中に、真の同志がいる。不二の弟子がいる。ゆえに、私は無上の幸福者である。
どんなに離れていようとも、心は一体だ。その友に届けと、私と妻はひたぶるに当日を送り続けている。
勝ちまくれ 若き生命の 血潮沸く 正義の君の 宝刀振り上げ
〃民衆の王者〃足立区ゆかりの大文豪森鴎外は、若き、医学会の変革者として試練に晒されながら、決然と叫んだ。
「吾 志は奪ふべからず」
信念の道を突き進む青年ほど、強いものはない。
私が対談したフランスの行動する知性アンドレ・マルロー氏が書き留めた、青年革命家の言葉がある。
「若さは人生の春であり、新芽の押し上げる力、発芽であり、開花である。年をとっても保持しなければならないのは、この活動力である」
「幸福勝利」「健康勝利」の妙法を朗々と唱え、はち切れんばかりの若々しい生命力で、奔流の如く進みゆく人は、皆、青年だ。
価値創造こそ青年の特権なり! ゆえに「創価」とは、青年の異名なのだ!
若き英雄・ヤング男子部よ走れ!
広布の華・池田華陽会よ輝け!
文化の香り高き世田谷区を拠点とした徳富蘆花は、少壮の時代に書き綴った。
「困難に打ち勝って道を開いて行くのは、つらくも楽しみなものです」
幾星霜を経ても、七月が巡り来るたびに、私の青年の魂が燃え上がる。
七月三日は、日本の敗戦の直前、恩師が出獄した日であり、その十二年後に私が入獄した日である。
また七月六日は、初代・二代の会長が逮捕された日その同じ七月に、恩師の慈愛に包まれ、わが男女青年部は結成されたのだ。
青年が躍動する学会!
青年が成長する学会!
青年が団結する学会!
そして、青年の偉大な力で、断固勝つ学会なのだ!
結びに、『若き日の日記』の一節を直系の諸君に贈りたい。「青年創価学会」の建設に突進するなかでの誓いである。
「口を真一文字にして進め。恐れるるな。おじけるな。そして己が信念と正義のため、突き進みゆけ。青年らしく・学会の先駆者の如く。まさに、東洋の王子らしく・革命児らしく。
かつは先生の第一の弟子らしくー」
「今、青年指導者たちが、勇敢に、突破口を開くか否かの、大事の秋となる」
断固して 共にこの世を 師と弟子で 広布と創価に 戦う嬉しさ
(随時、掲載いたします)
森鴎外の言葉は「鴎外全集29所収「敢えて天下の闘士に告く」(岩波書店)。マルローが記した言葉は柏倉康夫著『若き日のアンドレ・マルロー』(行路社)から。徳富蘆花は『小説思出の記』岩波嘗店)。