小説「新・人間革命」  7月18日  命宝18

 「蔵の財」「身の財」を、ひたすら追い求めてきた結果、先進国には、多くのモノがあふれ、医療も発達し、一面、確かに暮らしは豊かで便利になった。

 しかし、発展途上国との間に、大きな経済格差をもたらしていった。また、豊かさ、便利さを手に入れた人びとも、結局、心が満たされることはなかった。人間の欲望には、際限がないからだ。

 そして、医療は進歩しても、人びとの健康不安は募り、人間疎外を感じ、精神の閉塞化、無気力化が進んでいるのである。

 それは、「心の財」「心の健康」の欠落が招いた帰結といってよい。

 心は見えない。しかし、その心にこそ、健康の、そして、幸福のカギがある。

 心の力は無限である。たとえ、「蔵の財」や「身の財」が剥奪されたとしても、「心の財」があれば、生命は歓喜に燃え、堂々たる幸福境涯を確立することができる。

 「心の財」は、今世限りではない。三世にわたり、永遠にわが生命を荘厳していく。それはまた、「蔵の財」「身の財」をもたらす源泉ともなる。

 人間の本当の幸福は、蔵や身の財によって決まるのではない。

心の豊かさ、強さによって決まるのだ。どんな逆境にあろうが、常に心が希望と勇気に燃え、挑戦の気概が脈打っているならば、その生命には、歓喜と躍動と充実がある。そこに幸福の実像があるのだ。

 流罪の地・佐渡にあって、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)と言われた、日蓮大聖人の大境涯を知れ!

 また、獄中にあって、「何の不安もない」「心一つで地獄にも楽しみがあります」と言い切る、牧口常三郎初代会長を思え!

 わが生命から込み上げてくる、この勇気、希望、躍動、充実、感謝、感動、歓喜......。

 これこそが「心の財」であり、私たちの信仰の目的も、その財を積むことにあるのだ。

 いわば、それは幸福観の転換であり、「幸福革命」でもあるのだ。