小説「新・人間革命」  7月22日 命宝20

秋空に、白い雲が浮かんでいた。

 一九七五年(昭和五十年)十一月八日午後一時、山本伸一は、広島市にある平和記念公園原爆死没者慰霊碑広島平和都市記念碑)の前に立った。

 彼は、広島市での創価学会の第三十八回本部総会(九日)に出席するため、広島を訪問していた。そして、総会前日の八日、慰霊碑に献花しようと、メンバーの代表らと共に、平和記念公園を訪れたのである。

 広島市の荒木武市長らの出迎えを受け、慰霊碑に献花した伸一は、平和への深い祈りを込め、題目を三唱した。

 原爆死没者名簿を納めた石棺が、家形埴輪を模した屋根の下に安置されていた。その向こうには、鉄骨をむき出しにした、原爆ドームが見えた。

 伸一は、献花台の先にある石棺に刻まれた文字を、じっと見つめた。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 実は、この碑文をめぐって、論争が繰り返されていたのである。

 慰霊碑が建立されたのは、原爆投下から七年後の、一九五二年(昭和二十七年)八月六日のことであった。碑文の作者は、広島大学教授の雑賀忠義である。

 その三カ月後の十一月、長身のインド人が慰霊碑の前に立ち、献花し、黙とうを捧げた。あの東京裁判で判事を務め、ただ一人、日本のA級戦犯全員の無罪を主張した、

インドの国際法学者ラダビノッド・パールである。

 パール博士は、碑文を見ると、通訳に、なんと書かれているのか、何度も意味を確認した。彼の目は、怒りに燃えていった。

 「この“過ちは繰り返さぬ”という過ちは誰の行為をさしているのか。むろん日本人をさしていることは明かだ。それがどんな過ちであるのか、わたくしは疑う」(注)

 彼は、敗戦国が戦勝国に屈して、加害者の責任をあいまいにしてしまうことが、許せなかったのである。



引用文献:  注 パール著『パール博士「平和の宣言」』田中正明編著、小学館