小説「新・人間革命」  7月24日 命宝22

 慰霊碑に祈りを捧げた山本伸一は、案内してくれた広島市長の荒木武に語りかけた。

 「大変にお世話になりました」

 市長は、感慨をかみしめるように言った。

 「実は、私も被爆者なんです……」

 伸一は、市長を見つめ、静かに頷いた。

 「そうですか。世界には、数多くの市がありますが、一番、責任が重く、使命が深いのが、広島の市長さんだと思います。

 ご健康にて、ご活躍なさいますよう、お祈り申し上げます」

 市長の顔に微笑が浮かんだ。

 言葉をかければ、心が触れ合う。

 伸一は、それから、広島の青年部の代表に声をかけた。被爆二世の宿命に、信心を根本に立ち向かい、平和運動の先頭に立って奮闘している青年たちである。

 「ご苦労様! ありがとう!」

 彼らは、前年の一九七四年(昭和四十九年)八月六日に、青年部反戦出版の広島編第一弾として、被爆体験集『広島のこころ―二十九年』を発刊。

さらに、この七五年(同五十年)の八月六日にも、『広島・閃光の日・三十年』『私が聞いたヒロシマ――高校生が訴える平和への叫び』を出版してきた。

 また、創価学会青年部として推進した、戦争の絶滅と核廃絶を訴える一千万署名でも、その先駆となってきたのである。

 伸一は、言葉をついだ。

 「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」

 そして、戸田城聖を偲ぶように彼方を仰いだ。伸一の胸には、最悪な体調のなか、断固、広島行きを決行しようとした戸田の姿が、まざまざと蘇ってくるのであった。

 ――戸田は、一九五七年(同三十二年)九月八日、「原水爆禁止宣言」を発表した。その約二カ月後の十一月二十日、広島指導に出発しようとして、自宅で倒れたのである。

 戸田は、しばらく前から体調を崩し、日を追うごとに、衰弱は激しくなっていたのだ。