師弟共戦の8月 ㊦ 2009-8-7

偉大なる 門下の宝剣 振り上げて 師弟不ニなる 法戦楽しや



札幌農学校に学んだ思想家・内村鑑三は綴った。

「臆せず、撓まず、悪と戦い、善と興すべきなり」

「進め、どこまでも進め、前途を危惧せずして進め」

「明日は今日よりも完全なれ」

「正義は実に誠に最終の勝利者である」

広布史に「札幌・夏の陣」と謳われる夏季闘争が繰り広げられたのは、昭和三十年の八月であった。

私が指揮する札幌班は、十日間で三百八十八世帯の弘教を成し遂げた。班としては、前人未到の「日本この拡大となった。

真剣だった。一分一秒が惜しかった。スクーターの後ろに乗っての移動中も、〃札幌の同志に勝利を!〃と題目を唱え続けた。

短期決戦は、一日たりとも空費できない。一日一日が珠玉の時間である。一日一日が渾身の勝負だ。

その一日の勝利は、〃朝の勝利〃から始まる。

私は札幌の地で、同志と共に、毎朝、真剣に祈り、御書を拝しながら闘争をスタートした。

師匠。戸田先生が悠然と北海道に到着されたのは、八月十八日ー。

師は、道内の各地で、大確信の仏法対話を広げられた。私は一人、分身として奮闘を重ね、最後に、札幌に師をお迎えした。

そして、札幌の大勝利はもちろん、北海道全体で、実に千四百世帯もの弘教が実ったのである。

「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書九○○ページ)ー「師弟共戦」に勝るものはない。

師弟共戦は、いかなる苦境をも勝ち越え、障魔をも打ち砕く。人智では計り知れない力を信仰者の生命に呼び覚ますのだ。



断固たる 無敵の信仰 勇み立ち この一生に 無量の功徳が



「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(同一一三九ページ)とは報恩抄の一節である。

苦難の時に、法のため、人のため、世のため、勇敢に戦い抜いた栄光と福徳は無量であり、永遠である。

戸田先生の膝下で、最後の夏季指導となったのは、昭和三十二年の荒川の夏季ブロック指導であった。

あの大阪事件の直後である。私は創価巌窟王の心を燃え上がらせて臨んだ。

わずか一週間で、当時の荒川区内の会員世帯の一割を超える、二百数十世帯の拡大が成し遂げられた。

その信念の対話の喜びは、荒川を発火点に庶民の王者・足立区へ、歓喜の都・北区へ飛び火した。そして全東京広布の要・大関東へ拡大していったのだ。

この夏季指導は、恩師亡き後も、師弟共戦の魂の伝統として輝き続けた。

昭和三十三年の夏には、私は大関西へ、師弟の縁深き信越へ、そして九州ー福岡、鹿児島、宮崎へ飛んだ。佐賀、長崎、熊本、大分と一体で、広布の先陣を切る〃先駆の大九州〃の友の笑顔が光り輝いていた。

昭和三十四年ーちょうど五十年前の夏には、〃獅子の中国〃、また〃堅塁・中部〃、さらに〃不屈の東北〃の勇者たちとも語らいの花を咲かせた。あの夏、誇り高き〃正義の神奈川〃の集いにも出席した。

そして迎えた九月、暑い夏を大勝利した、わが尼崎の同志と、嬉しき勝ち戦の握手を交わしたのである。

この兵庫・尼崎から関西指導がスタートした。

新たな常勝の熱き血潮は、関西の心臓部・尼崎から広がっていったのだ。

また、私が第三代会長に就任後、最初の夏季指導ともいうべき歴史が、昭和三十五年七月の平和の要塞・沖縄への初訪問であった。

さらに夏といえば、「誓」の北陸の友との記念撮影も忘れられない(昭和四十二年八月、富山・高岡で)。

「情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である」とは、フランスの文人ラ・ロシュフーコーの言葉だ。

たとえ短時間でも、大情熱の対話から共鳴が広がる。

あの歴史に燦然と輝く「山口闘争」も、短期決戦の連続であった。

私が山口の現地で指揮を執ったのは、わずか二十日余。昭和三十一年十月から三十二年一月までの間の三回の訪間で、一回の滞在は十日以内だった。

短期間だからこそ、電話なども有効に活用し、連絡・連携を密にした。

一回目の訪問より、二回目、そして三回自と、拡大の布陣が強固になるよう、猛然と祈り指揮を執った。

中国方面の拠点であった岡山にも足を運んだ。そして永遠の平和の都・広島を訪れ、深き祈りを捧げた。

波は一度では足りない。押しては引き、引いては押し、一波、二波さらに三波と波を起こして

いくのだ。

「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書一

一八七ページ)と、せである。我らの強盛なる祈りは、諸天を揺り動かさずにはおかない。



勇敢に 偉大な名誉を 残しゆけ 君の笑顔に 君の心に



ともあれ、嬉しかったのは、全国の同志が、山口の広布開拓のために、馳せ参じてくれたことである。

蒲田、文京、足立、本郷、鶴見、志木、大宮、大阪、堺、梅田、船場、松島、仙台、八女、福岡、岡山、高知支部をはじめとした全国の永遠に忘れ得ぬ歴戦の勇士たちであった。

九州からも、志の天地・四国からも、共戦の同志が勇んで集って来られた。

「私は、この地で広布の歴史を刻みます!」

四百五十九世帯から四千七十三世帯へと、未曾有の拡大を達成できた。全国の同志が、私と同じ心で決戦場に臨み、対話に邁進してくれたからであった。

これほど強く、これほど美しく、これほど尊い人間の結合が、一体、どこにあるだろうか。この究極の団結で、創価は勝つのだ。

「私は思います」。ナポレオン公は、創価の師弟の平和運動の継承を賞讃してくださりながら語られた。

「道なき道を開いた『一人』の存在は偉大である。

しかし、それ以上に、その険しき道に続き、さらに道を広げていく人の存在は、さらに偉大である」

わが創価の友は、崇高なる広宣流布の大道を歩みゆく最も大切な、最も高貴な一人ひとりだ!

険しい道もある。烈風もある。しかし、だからこそ楽しい。勇気がわく。

蓮祖大聖人は「立正安国」という大理想のために、命に及ぶ大難に遭われても、悠然と叫ばれた。

「強敵を伏して始て力士しる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同九五七ページ)

難こそ正義であり、苦闘を突き抜けての勝利こそ、日蓮仏法の醍醐味だ。

戸田先生は、よく呵々大笑されながら言われた。

「我々の姿は時として、貧乏菩薩や病気菩薩のように見えるかもしれない。

しかし、それは、人生の劇を演じているんだよ。

生命の本地は正真、正銘の地涌の菩薩なんだ。

人生の劇ならば、思い切って楽しく演じ、勝ちまくって、妙法の偉命さを証明していこうではないか」

さあ、わが本門の勇戦の弟子たちよ、打って出る時は来た。〃いよいよ〃の心意気で、愉快に、痛快に、仏縁を広げゆくのだ。

今こそ、「師子王の心」を奮い起こして、声高らかに正義を叫び抜くのだ。

「スピード」だ!

「団結」だ!

「情熱」だ!

「共戦」だ!

「師子吼」だ!

そして、「八の字」の如く大きく開けゆく、八月の青空に、誉れ高き「師弟完勝」の旗印を堂々と掲げようではないか!



晴れ晴れと 勝利で、この世を師弟して 断じて残さむ 偉大な歴史を



内村鑑三の言葉は『内村鑑三著作集3』(岩波書店)、最後のみ『内村鑑三著作集5』同)ー現代表記に改めた。

また、『ラ・ロシュフコー箴言集』二宮フサ訳(岩波書店)。