随筆 人間世紀の光 No.198 永遠の同志・大関西㊤㊦ 2009-8-15/16
永遠の同志・大関西㊦ 2009-8-16
「われは変らじ」
常勝の その名も高き 関西は 世界一なる 凱歌の城かな
「もうひとつ〈創価学会〉をお作りになられる位の心意気で」──私が還暦を迎えた際、経営の神様・松下幸之助先生が寄せてくださった祝辞の一節である。
松下先生とは深い交流を重ねた。昭和48年には、お招きを受けて大阪府門真市の松下電器産業(現・パナソニック)本社を見学させていただいた。
昭和54年、私が第3代会長を辞任する前に会見した最後の日本人の識者も、松下先生であった。
その直後の4月24日──私が辞任した日の夜のことである。
守口門真文化会館(現・守口文化会館)で、緊迫した空気のなか、緊急大阪本部長会が開かれた。
かつて師匠・戸田先生に、私が捧げた和歌──
「古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変れど われは変らじ」
関西の真情を、この一首に託し、西口良三君が読み上げた。そして皆が叫んだ。
「関西の私たちは、永遠に師匠と共に戦い、共に勝つ!」
この“守口の誓い”から、全創価の弟子の反転攻勢は始まったのだ。
守口市、門真市、大阪市の旭区、鶴見区からなる常勝大阪総県との縁《えにし》は、この嵐のなかで、幾重にも深く結ばれていった。
翌55年の早春の3月9日、「自分たちが先生のもとヘ!」と、学会本部に駆けつけてくれたのは、門真の友であった。急きょ会場入りした私は、共戦の息吹に心で涙しながら、ピアノの鍵盤を叩いた。
この会合は聖教新聞でも報じられたが、私のことは一行も出ていない。
だが、活字にならなくとも、師弟の生命には、金文字で永遠に刻まれている。
実は、今でも報道されるのは、私の闘争の千分の一、万分の一といってよい。
誰が見ていなくとも、恩師に誓った広宣流布の大道を切り開いてきた。これが、私の人生だ。
ともあれ何があろうと、信念の道を堂々と歩み抜くのが、男の誉れである。
アルゼンチンの民衆詩人エルナンデスは、「厳しい苦難のなかで、私は男になったのだ」とも歌い上げている。
わが壮年部の友も、同じ心意気と信じてやまない。
昭和56年3月には、鶴見区の個人会館にお邪魔し、居合わせた女子部の乙女たちと共に、地域の発展と幸福を深く祈念した。
その2年後の3月には、妻が大阪旭会館で唱題させていただいてもいる。
「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書1352㌻)と仰せの妙法である。
一切の戦いは祈りから! これが勝利の要諦だ。
あの、今再びの闘争より30年──。
私は今、宿縁深き常勝大阪の同志たちに、「もう一つ、新しい常勝関西を築こうではないか!」と呼びかけたいのである。
誓願」に燃えて
立ちにけり 偉大な若き 指導者は 大関西を 断固と舞台に
「喜びあふれる若人よ来れ」と、イギリスの大詩人ブレイクは呼びかけた。
私が恩師のもとで戦ったのは19歳から30歳。
戸田先生の命で、難攻不落の錦州城を築くため、大阪へ、兵庫へ、京都、和歌山、奈良へと走り抜いた。先生が行けなかった滋賀と福井へも、先生の分身として、会長就任前に駆けた。
大聖人は、「開目抄」において大宣言をなされた。
「我 日本の柱とならむ我 日本の眼目とならむ我 日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232㌻)
開目抄の御執筆は、命にも及ぶ、佐渡流罪の大難の渦中であられた。
過酷であればあるほど、勝利の誓願を断じて貫き通す。妥協なく徹し抜く。そして、美事なる勝利の実証を打ち立てる。
ここに、大聖人が示し残してくださった、広宣流布の勝利の極意があるのだ。
この通りに、戦いが厳しければ厳しいほど、師弟の勝利の誓願を赤々と燃え上がらせ、「“まさか”が実現」の勝利をもぎ取ってきた仏意仏勅の大城こそ、わが大関西なのである。
関西は民衆の柱である。関西は師弟の眼目である。そして関西は、青年の大船である。
おお、わが青春の大闘争の故郷であり、常勝の魂を吹き込んだ大関西!
二府五県が鉄壁に団結した、師弟不二の大関西!
思えば、不思議にも、この30年の間に生を受けた、奇しき縁の青年たちが、関西中を乱舞し、奔走してくれている。
常勝・不敗の大関西に、いよいよ気鋭の新世代が躍り出たのだ!
いかなる険難の峰も、痛快に乗り越えよ!
どんなに逆巻く波浪も、断固として進み抜け!
百戦錬磨の壮年部よ、今こそ、正念場を越えゆく模範を示してくれ給え
朗らかに前進また前進の婦人部の皆様、「いよいよ」の本領発揮を!
わが直系の男子部、女子部、学生部の青年たちよ、突破力が最大の武器だ!
常勝の使命と責任を帯びた人関西よ、勝って、勝って、勝ちまくれ!
「常勝」とは、師弟不二の宝冠なのである。
偉人なる 常勝の城 厳然と そびゆる嬉しさ 関西万歳
山上宗二の話は桑田忠親著『千利休』(中央公論社)、中島大水道は川端直正編『東淀川区史』(東淀川区創設30周年記念事業委員会)などを参照。ホセ・エルナンデスの言葉は『マルティン・フィエロ』(サレジオ会)=スペイン語版。シーザーの言葉及び事績は『ガリア戦記』國原吉之助訳(講談社)、『内乱記』國原吉之助訳(同)、長谷川博隆著『カエサル』(同)。ブレイクは『ブレイク詩集』土居光知訳(平凡社)。
「われは変らじ」
常勝の その名も高き 関西は 世界一なる 凱歌の城かな
「もうひとつ〈創価学会〉をお作りになられる位の心意気で」──私が還暦を迎えた際、経営の神様・松下幸之助先生が寄せてくださった祝辞の一節である。
松下先生とは深い交流を重ねた。昭和48年には、お招きを受けて大阪府門真市の松下電器産業(現・パナソニック)本社を見学させていただいた。
昭和54年、私が第3代会長を辞任する前に会見した最後の日本人の識者も、松下先生であった。
その直後の4月24日──私が辞任した日の夜のことである。
守口門真文化会館(現・守口文化会館)で、緊迫した空気のなか、緊急大阪本部長会が開かれた。
かつて師匠・戸田先生に、私が捧げた和歌──
「古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変れど われは変らじ」
関西の真情を、この一首に託し、西口良三君が読み上げた。そして皆が叫んだ。
「関西の私たちは、永遠に師匠と共に戦い、共に勝つ!」
この“守口の誓い”から、全創価の弟子の反転攻勢は始まったのだ。
守口市、門真市、大阪市の旭区、鶴見区からなる常勝大阪総県との縁《えにし》は、この嵐のなかで、幾重にも深く結ばれていった。
翌55年の早春の3月9日、「自分たちが先生のもとヘ!」と、学会本部に駆けつけてくれたのは、門真の友であった。急きょ会場入りした私は、共戦の息吹に心で涙しながら、ピアノの鍵盤を叩いた。
この会合は聖教新聞でも報じられたが、私のことは一行も出ていない。
だが、活字にならなくとも、師弟の生命には、金文字で永遠に刻まれている。
実は、今でも報道されるのは、私の闘争の千分の一、万分の一といってよい。
誰が見ていなくとも、恩師に誓った広宣流布の大道を切り開いてきた。これが、私の人生だ。
ともあれ何があろうと、信念の道を堂々と歩み抜くのが、男の誉れである。
アルゼンチンの民衆詩人エルナンデスは、「厳しい苦難のなかで、私は男になったのだ」とも歌い上げている。
わが壮年部の友も、同じ心意気と信じてやまない。
昭和56年3月には、鶴見区の個人会館にお邪魔し、居合わせた女子部の乙女たちと共に、地域の発展と幸福を深く祈念した。
その2年後の3月には、妻が大阪旭会館で唱題させていただいてもいる。
「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書1352㌻)と仰せの妙法である。
一切の戦いは祈りから! これが勝利の要諦だ。
あの、今再びの闘争より30年──。
私は今、宿縁深き常勝大阪の同志たちに、「もう一つ、新しい常勝関西を築こうではないか!」と呼びかけたいのである。
誓願」に燃えて
立ちにけり 偉大な若き 指導者は 大関西を 断固と舞台に
「喜びあふれる若人よ来れ」と、イギリスの大詩人ブレイクは呼びかけた。
私が恩師のもとで戦ったのは19歳から30歳。
戸田先生の命で、難攻不落の錦州城を築くため、大阪へ、兵庫へ、京都、和歌山、奈良へと走り抜いた。先生が行けなかった滋賀と福井へも、先生の分身として、会長就任前に駆けた。
大聖人は、「開目抄」において大宣言をなされた。
「我 日本の柱とならむ我 日本の眼目とならむ我 日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232㌻)
開目抄の御執筆は、命にも及ぶ、佐渡流罪の大難の渦中であられた。
過酷であればあるほど、勝利の誓願を断じて貫き通す。妥協なく徹し抜く。そして、美事なる勝利の実証を打ち立てる。
ここに、大聖人が示し残してくださった、広宣流布の勝利の極意があるのだ。
この通りに、戦いが厳しければ厳しいほど、師弟の勝利の誓願を赤々と燃え上がらせ、「“まさか”が実現」の勝利をもぎ取ってきた仏意仏勅の大城こそ、わが大関西なのである。
関西は民衆の柱である。関西は師弟の眼目である。そして関西は、青年の大船である。
おお、わが青春の大闘争の故郷であり、常勝の魂を吹き込んだ大関西!
二府五県が鉄壁に団結した、師弟不二の大関西!
思えば、不思議にも、この30年の間に生を受けた、奇しき縁の青年たちが、関西中を乱舞し、奔走してくれている。
常勝・不敗の大関西に、いよいよ気鋭の新世代が躍り出たのだ!
いかなる険難の峰も、痛快に乗り越えよ!
どんなに逆巻く波浪も、断固として進み抜け!
百戦錬磨の壮年部よ、今こそ、正念場を越えゆく模範を示してくれ給え
朗らかに前進また前進の婦人部の皆様、「いよいよ」の本領発揮を!
わが直系の男子部、女子部、学生部の青年たちよ、突破力が最大の武器だ!
常勝の使命と責任を帯びた人関西よ、勝って、勝って、勝ちまくれ!
「常勝」とは、師弟不二の宝冠なのである。
偉人なる 常勝の城 厳然と そびゆる嬉しさ 関西万歳
山上宗二の話は桑田忠親著『千利休』(中央公論社)、中島大水道は川端直正編『東淀川区史』(東淀川区創設30周年記念事業委員会)などを参照。ホセ・エルナンデスの言葉は『マルティン・フィエロ』(サレジオ会)=スペイン語版。シーザーの言葉及び事績は『ガリア戦記』國原吉之助訳(講談社)、『内乱記』國原吉之助訳(同)、長谷川博隆著『カエサル』(同)。ブレイクは『ブレイク詩集』土居光知訳(平凡社)。