小説「新・人間革命」  8月24日 命宝47

山本伸一は、広島市の南観音にある広島会館に到着すると、会館の前にある民家に向かった。その家の主や夫人たちが、庭にいたからである。畑仕事から戻ったばかりのようで、主の手は泥にまみれていた。

 伸一は、前回、広島会館に来た折にも、一人でこの家を訪れていた。「会館に大勢の人が集う時など、ご迷惑をおかけすることがある」と聞いて、あいさつに行ったのだ。

その時は、勝手口から訪ね、主が不在であったため、主の母堂と対話を交わしている。

 伸一は、今回は主に、丁重にあいさつした。

 「こんばんは! 創価学会の会長の山本でございます。本当にお世話になります。何かと、お騒がせしてすみません。また、日ごろ、ご尽力を賜り、誠にありがとうございます」

 ――「あらゆる人間関係において、隣近所というもののもつ圧倒的な重要性をまず考えよう」(注)とは、アメリカの思想家エマソンの言葉である。

 伸一は、「今後とも、よろしくお願い申し上げます」と言って、泥まみれの主の手を、強く握り締めた。

 主は、最初、戸惑っていたが、心からの感謝の言葉に、笑みを浮かべ、大きく頷いた。

 大事なのは、勇気の行動だ。誠実の対話だ。近隣の学会理解の姿が、広宣流布の実像だ。

 伸一は、広島会館に入ると、館内を視察し、現地の幹部と、会館整備などの構想を協議。さらに、管理者や職員らを励まし、記念撮影もした。矢継ぎ早の行動であった。

 彼は、時間を無駄にしたくはなかった。時間の浪費は、生命の浪費であり、広宣流布の遅れであるからだ。

 翌十一日の朝、伸一は、文化会館にいた人たちの激励のために、ピアノに向かい、「同志の歌」などを、次々と奏でていった。

 ちょうど、そのころ、呉では、呉会館への伸一の訪問を願って、懸命にメンバーが唱題に励んでいた。呉の同志は、以前から、“山本先生に呉においでいただきたい”と念願し、伸一にも、その希望を伝えていた。



引用文献 :  注 「随想余録」(『エマソン選集3 生活について』所収)小泉一郎訳、日本教文社