随筆 人間世紀の光 200回 広宣流布の言論戦 ㊤㊦ 2009-8-22/23

第200回 広宣流布の言論戦 ㊤ 2009-8-22



師弟して この大道を 勇敢に! 



来る日も来る朝も、無冠の友の皆様の足音から、我らの勝利の行進は始まる。

先日の早朝、静岡の地震の折にも、真っ先に地域の方々の安否を確認しつつ、聖教新聞を配達してくださる仏使の英姿があった。

来る八月二十四日は、「聖教新聞創刊原点の日」でもある。

昭和二十五年のこの日、戸田城聖先生と私は、迫り来る烈風のなかで、広布の機関紙の発刊を構想した。

師弟の夢が結実したのは翌年の四月二十日。聖教新聞の創刊号には「聖火鶴見に炎上」の見出しが躍った。

これもまた、神奈川の友との誇り高き共戦の歴史だ。

わずか二ページであった。しかし、この生まれたばかりの創刊号を、わが尊き同志たちは、喜び勇んで配達してくださったのだ。

足立支部・王子地区で戦う北区在住の広布の母も、その一人であった。恩師が綴られた『人間革命』が載聖教新聞を、ご夫妻で懸命に配達されたのである。

そして、豊島橋・江北橋を往来しながら、支部長宅のある荒川対岸の足立区の同志と一致団結して、正義の言論戦に打って出た。

思えば、私が蒲田支部で月二百一世帯の弘教を達成し、大きく壁を破った「二月闘争」に奔走した時、負けじと奮闘して続いてくれたのは、足立支部であった。

聖教とともに歩み続ける共戦の足跡は、神奈川、千葉、埼玉にも、また群馬にも着実に広がった。母たちの勇気は、やがて山梨にも、茨城、栃木にも波動していったのである。

聖教が、皆の正義の声であった。皆の希望と勝利の旗印であった。

御金言に仰せである。

「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし」(御書五○○ページ)

我らの信心の一つの行、一つの実践にも、功徳・善根と現れぬものはない。

広宣流布の拡大のために歩んだ一歩一歩が、すべて大福運となって、汝自身の生命に積まれていくのだ。

ともあれ、人間の真価は、行動によって決まる。

チェコの作家チャペックは、鋭く提唱していた。

「もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい」と。

これが賢者の眼である。



断固勝て 人間革命 光あり



この「随軍 人間世紀の光」も、二○○四年の新春のスタート以来、今回で連載二百回となった。

小説『新・人間革命』の方も、長野で執筆を開始してより、去る八月六日で十六周年を迎えた。

その前の『人間革命』を、沖縄の地で書き起こしてから数えると、四十五年になろうとしている。二作を合わせれば、新聞連載は通算五千七百三十回を超えた。

わが同志の皆様、読者の皆様の熱きご支援のおかげと、感謝に堪えない。

一切の中傷を払いのけ、わが師。戸田城聖先生の真実を、そして師弟の大道を、未来永遠に輝き残すために、筆を執ってきた。

新聞の連載は、過酷だ。

ひとたび始まれば、多忙だろうが、体調が悪かろうが、締め切りは容赦ない。

かつて原稿を書く手に力が入らず、ペンを握ることさえ辛い時もあった。

火の国・大九州を訪れた折には、地方指導の寸暇に、口述の原稿をテープに収めて、東京へ送ったことも、今となっては懐かしい。

さらに、第一次訪中(昭和四十九年)から帰国した直後のことであった。

二十日近く日本を留守にしていたため、全国の同志を励ませればと、連載再開に踏み切った。三代の師弟の天地・北海道を舞台に、小樽問答の「発端」を綴った第九巻の第1章である。

だが、想像以上に疲労は深く、やむなく、数回分は口述となってしまった。

担当者に渡す原稿の欄外に、「少々身体が疲れているので女房に口述筆記をしてもらいました」と書いた。

一日の行事や執務が終わって、夜半に帰宅してからの執事となることも少なくない。その人知れぬ戦いを、陰の陰で支え抜いてくれた妻であった。

文豪の吉川英治氏の信念は、「大衆即大知識」であった。ゆえに、その大衆に語りかける執筆は、「厳粛にならざるを得ない」「自分の身を削らずにいられない」と言われたのである。

万般において、この民衆への畏敬を失えば、かりに人気を得たとしても、本質は大衆利用だ。それは、民衆蔑視の慢心にすぎない。

やがて、賢明な民衆に見抜かれ、厳しい審判を下されることは、歴史の必然だ。

吉川氏の心情は、私にも痛いほど、よくわかる。

民衆を思い、同志を思い、大切な学会を思えば、どうして、全精魂を注がずにいられようか!



はっらつと 今日も旭日を 浴びながら 偉大な人生 偉大な歴史を



天文学者ガリレオが初めて望達鏡で天体観測を行って、今年で四百年になる。

先月には、奄美大島等で皆既日食が、また日本列島の各地で部分日食が観測された。

三年後の五月には、「金環日食」が、やはり列島の各地で見られるようだ。

東京、横浜、名古屋、大阪、神戸なども、日食帯のなかに入っているという。

ともあれ、天空にはロマンがあり、未来がある。

昼も夜も決して沈むことのない不動の「北極星」は、北に輝く勝利の星だ。

その常勝の光が、私には、東京、堺、神戸等の天地に煌き続ける「北区」の同志と重なって見える。

さらに、赫々と昇りゆく「旭日」を見れば、横浜や大阪の「旭区」の友らの勢いに心を躍らせ、北海道の「旭川市」、千葉の「旭市」、愛知の「尾張旭市」をはじめ、〃旭〃や〃朝日〃を冠

した全国の街々を思う。

御聖訓には、「ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、太陽や月や星々の仏性も、一切衆生の心の中の仏性も、浮びあらわしていくことができる。その功徳は無量無辺である」(趣意、御書五五七ページ)と説かれる。

妙法を唱え、行じゆく我らの境涯が、どれほど壮大であるか。この大確信で、勇敢に立ち上がるのだ。

人生は、萎縮したら負けである。妙法を朗々と唱え抜きながら、大宇宙をも友にしゆく心で、明るく味方を広げていくことだ。

ところで、ガリレオが最も熱心に望遠鏡を向けたのが「木星」であった。

木星は巨大である。地球に比べて三百十八倍もの質量があり、地球の外側の軌道を悠然と回転している。

ある研究によると、地球に生命が誕生し存続・成長していくために、この木星が重要な役割を果たしているという。

すなわち宇宙空間には、彗星や小惑星が無数にある。だが、木星のように大きな重力をもった惑星が控えて、それを引き寄せてくれている。そのおかげで、地球にぶつからない。

つまり、木星は「地球の大きな保護者」であり、生命が安心して成長していく地球の環境を護ってくれているというのである。

譬喩的にいえば、誰が見ていようがいまいが、自己の責務を担って、頑張る。

労苦を厭わず、皆の安心の屋根となって戦う存在だ。

その生き方は、戸田先生の不二の弟子の決心である。

そしてまた、偉大な木星の如く、創価の幸福城たる地区を厳然と護り、広布の最前線のブロックを護り抜いてくださる英雄こそ、わが盟友たる壮年部なのだ。

アメリカの哲人エマソンは「男らしさとは、自分のなしうることに全力を傾けることである」と言った。

ここぞという正念場で、持てる力を振り絞って勇戦してこそ、真の男だ。

来る八月二十四日は、我ら「壮年部の日」である。

暑いなか、各地で奮闘する太陽会、ヤング壮年部をはじめ壮年の皆様方に、「体を大切に!」「皆を護る太陽の如く!」と申し上げたい。

今の関西の地でも東京でも、中部、中国、九州でも、常勝不敗の歴史を残した剣豪が、宮本武蔵だ。

その勝負哲学の重要な鍵は「声」の力であった。

「声は勢いである」ー

ゆえに戦いに臨んでは、できるだけ力強く、大きな声を出した方が勝つ。これが、武蔵の確信であった。

仏法では、声が「仏の仕事」を為す。勇気ある声が仏の勝利の力なのだ。



いついつも 修羅の如きの この世にて 正義の魂 師子と吼えゆけ