随筆 人間世紀の光 200回 広宣流布の言論戦 ㊤㊦ 2009-8-22/23

第200回 広宣流布の言論戦 ㊦ 2009-8-23



嵐をも 突風までも 猛烈な 君の雄叫び 轟き勝たなむ



広宣流布の未来を託す、わが後継の青年たちが、決然と勇戦に立ち上がった。

その若き正義の声が、新時代の号砲の如く、力強く私の命に迫ってくる。

私は嬉しい。試練に胸を張り、大金星を輝かせゆく青年が躍り出ている。創価の前途は無限に明るい。

アメリカの鉄鋼王カーネギーが掲げた箴言がある。

「議論できないものは愚者である。議論しない人は偏屈者である。議論を戦わす勇気のないものは奴隷だ」

相手が誰であれ、闊達に勇敢に、わが信念を語り切る。これが青年の特権だ。



天晴れて 若き英雄 君たちよ 広宣流布への 決戦 勝ちとれ



今、二十代のヤングたちも、はち切れんばかりの勢いで、同世代の友に勇気の対話を繰り広げている。

さらに三十代のリーダーが、鮮烈な大情熱の声を放つ姿も、頼もしい限りだ。

「三十にして立つ」ー『論語』の人間学である。

思えば、初代会長・牧口先生が、若き独創の思想を天下に問うべく、あの名著『人生地理学』を発刊された時、三十二歳であった。

第二代会長・戸田先生が、牧口先生を支え抜き、師と共に創価教育学会を創立されたのも、三十歳の年である。

第三代の私が、恩師の遺命を受け継いで、世界広宣流布への指揮を執り始めたのも、三十二歳であった。

三十代の生命には、満々たる闘魂がある。力がある。

雄々しき開拓がある。

三十代にして「立正安国論」を師子吼された蓮祖の大境涯を拝し、仏の力を出して、青年部よ、乱世に正義の言論戦を展開せよ!自分の新しき歴史を作れI 永遠に勝ち誇りゆく第一歩を、今、痛快に踏み出すのだ!

「真実はどんなに強くいってもいいすぎることはない」

これは、英国の社会思想家ラスキンの信条である。

その通りだ。真実は、声を大にして叫ばなければ、悪意の扇動や意図的な喧伝に掻き消されてしまう。

だから黙ってはならぬ。

末法は「闘諍堅固」である。嫉妬の讒言など、言論の暴力が渦巻く時代だ。

ゆえに日蓮大聖人は、デマや虚言を打ち返せ、打ち破れと厳しく教えられた。

それどころか、邪論や暴論が騒ぎ立てられる時こそ、「破邪顕正」の原理で、かえって正義と真美を宣揚するチャンスなのだ。

大聖人は、陰謀に陥れられた四条金言に言われた。

「必ず大なる。さはきが大な幸いとなるなり」(御書一一六四ページ)

そして愛弟子のため、陳状まで御執筆くださった。

「(大聖人が代筆された)この陳状を一人一人が見るならば、謀略を企てた悪人らの恥がはっきりと表れるであろう」(通解、同ページ)と記されている。

弟子を護り、勝たさんとする、師匠の師子吼ほど、ありがたいものはない。

ともあれ、「法華折伏・破権門理」の大精神に立つて、明確に正義を宣揚し、邪悪を白日の下に晒すーこの透徹した言論こそ、聖教新聞の使命である。

あの傑作『神曲』では、師ウェルギリウスがダンテに、こう呼びかけている。

「さあ、気を強く、大胆に」

戸田先生も遺言の如く、「人生は強気でいけ!」と教えてくださった。

弱気になり、受け身になれば、もはや敗北だ。

強気でいけば、必ず勝利を切り開くことができる。

創価の師弟は、徹底して強気で戦い道むのだ。



断固して 攻めゆけ勝ちゆけ 堂々と 勝ちたる姿を 諸天は待つらむ



広宣流布は、「声」の戦いだ。精神の剣の戦いだ。

本気で戦う決心さえあれば、たった一人でも、叫べる。いつでも、どこでも、どこからでも、勝利の戦端を開くことができる。

私は、若き日より、常にそうしてきた。

「今こそ!」というその時に、師子王の心で叫ぶ。

これ恩師・戸田先生の弟子の覚悟である。

会長辞任から一年余が過きた昭和五十五年夏、私はペンで戦いを起こした。

一番大切な同志を励ますのだ!最前線の友の心に、エールを届けるのだ!

そのため第一に、小説『人間革命』の連載を再開する。

第二に、新連載「忘れ得ぬ同志」を立ち上げる。

私は神奈川で、この決断を下した。神奈川は、大聖人が「立正安国」へ大言論戦を開始された「正義」の天地であるからだ。

七月末、連載が始まった「忘れ得ぬ同志」では、広布の大功労者を讃えつつ、正義の友よ、二陣三陣と続きゆけ!と願った。

草創の本郷支部の初代支部長・笹木さん、九州男子部の先駆者・川内さん、関西では、兵庫広布の名将・浦島さん、大阪支部の第二代支部長の大弁さん……。

あの地、この地の懐かしき宝友は尽きることがない。

皆、偉大な庶民の英雄、人間の大英雄である。

名前を挙げる方を代表として、不屈の学会精神を燃やしてくださった全同志を顕彰しゆく祈りを込めて、私は書き続けた。

勇んで決戦場へ!

この年(昭和五十五年)の八月十日付からは、『人間革命』第十一巻の「転機」の章の連載を開始した。歴史に輝く「山口開拓闘争」が舞台であった。

その後、『人間革命』の連載は、第二次宗門事件の渦中、一九九一年(平成三年)の八月には、中之島の公会堂で行われた、あの「大阪大会」のドラマを綴る段を迎えた。

大会には、「負けたらあかん!」と拳を振り上げ、全関西の勇者が集った。

一旦緩急あれば、関西中から、勇んで広布の決戦場に馳せ参ずるーこれが、関西魂だ。久遠の同志だ。

私は、この大阪大会での、恩師・戸田先生の烈々たる大宣言を記した。

「まず何があっても微動だにしない大確信、大境涯に立つことが根本です。

そして、そのうえで破折すべきことは徹底して破折していくんです。黙っていれば、世間はそれが真実がと思い込んでしまう。

『いかなる事ありとも.すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(御者一○九○ページ)というのが、折伏の精神です」

正義の言論による破折精神、攻撃精神が、広宣流布の勝利の決定力である。

今夏も全国で、尊き多宝会、宝寿会、錦宝会の方々が、仏の如く拡大の対話を進めてくださっている。

あのゲーテも、最晩年に至るまで、若々しい声で語り、皆の心を掴んだ。その声の若さに驚嘆した音楽家は、こう書いたという。

ゲーテがその気になりさえすれば、この声は『一万の戦士の上に響き渡る!』こともできるだろう」

いわんや、題目を唱え、広宣流布のため真剣に語る創価の友の声は、大宇宙に、そして三世永遠に福徳を広げゆく大音声なのだ。

かつて、一世を風靡した話術家の徳川夢声氏は、わが聖教の愛読者であった。

毎日、多数の新聞に目を道すなか、聖教が「一つの強烈な主張」に貫かれていることに刮目されていた。

戸田先生とも対談された。

ある時、この徳川氏が、講演を頼まれて杉並公会堂へ行った。

控室に入ると、いつもと雰囲気が違う。会場をのぞくと、元気な女性が熱烈な演説を行っている。客席の聴衆も熱心そのものだ。

創価学会支部の大会であった。講演の日にちを間違えられたようだ。

偶然、創価の女性の声の響きを耳にした徳川氏は、大変に感嘆された。それは、いかなる苦難もものともせぬ、学会の底力を確かに感じ取られたゆえであった。

婦人部、女子部の声こそ、希望勝利の鐘である。

一九九二年(平成四年)の八月三十日。私は、北海道で『人間革命』第十二巻(最終巻)の、戸田先生の霊山への旅立ちを綴った

「寂光」の章を書き上げた。

そして恩師の故郷・厚田の戸田墓園へ報告に向った。師弟の儀式である。

戸田先生の声が蘇った。

広宣流布のいかなる闘争も、一人一人の学会員の宿命転換と人間革命の戦いである。大事なことは、全同志が、それぞれの持っている力を出し切って、悔いなく戦い抜くことだ」

わが友が、「私はやり切った。悔いがない」と清々しく、汝自身の万歳を叫んでいければ、勝利なのだ。

これが、「人間革命」という生命の讃歌である。

この壮大なる創価の民衆叙事詩を、世界が見つめている。人類が讃えている。

今日も、勇気に燃えて、自他共の幸福へ、社会の繁栄へ、師弟一体で広宣流布の言論戦に邁進するのだ。



人間の 革命ありて 常勝三世に





カーネギーは『鉄鋼王カーネビー自伝』坂西志保訳(角川書店)。ラスキンは『世界教育学選集46芸術教育』内藤史朗訳(明治図書出版)。ダンテは『神曲I』寿岳文章訳(集英社)・ゲーテの声の話は「ゲーテとペートーヴェン」(『ロマン・ロラン全集23』所収)片岡美智訳(みすず書房