小説「新・人間革命」  9月2日 命宝55

山本伸一が呉会館を訪れるのは、初めてであった。会館にも大勢の人が詰めかけていた。

 伸一は、ここでも、皆と一緒に勤行し、一人ひとりに声をかけ、激励を重ねた。

 目の不自由な婦人を見ると、彼は言った。

 「何かと大変でしょうが、信心の眼を開いていけば、必ず幸せになれますよ」

 また、別の婦人には、家族のことを尋ね、子どもの教育について語った。

 「子どもさんのなかでも、特に男のお子さんをおもちの方は、頑張って大学に行かせてください。社会に出て、活躍していくうえで、教育は極めて大事です。

 そして、さらに大切なのが、信心をお子さんに、しっかりと伝え抜いていくことです。お子さんが幸せになれる根本の道は、信心しかないからです。

 また、お子さんが広宣流布のために戦っていくならば、それは親の福運にもなります。子どもが、信心に目覚めていけば、絶対に親を粗末にせず、大切にする人になりますよ」

 伸一は、会場の広間に入れなかった人のために、もう一度、勤行することにした。

 参加者の入れ替えが行われている間も、彼は、控室に、八年前に夫を亡くした婦人と、その子息を呼んで励ました。

 婦人の夫は、杉村七郎という公明党の市議会議員であった。

 ――一九六七年(昭和四十二年)七月、全国で三百六十五人といわれる死者を出す大豪雨が、九州北部から関東を襲った。

 神戸などと並んで、呉の被害も大きく、死者八十八人、負傷者四百六十七人、全半壊家屋五百五十七棟を出したのである。

 この時、杉村七郎は、公明党の二人の市議会議員らと共に、山崩れで生き埋めになった一家の救出に向かった。

 救出作業が始まってしばらくすると、救助隊も到着した。生き埋めになった四人のうち、三人を救出し、最後に残った八歳の少女を救出中に、再び山崩れが起こった。そして、杉村は命を失ったのである。