◇ 随筆 人間世紀の光 No.202  人間の中へ民衆と共に ㊤  2009-8-28

偉大な力は「一対一の対話」から!

総仕上げが勝負! 悔いなく勝ち飾れ



 誠実な    広布の時間は   三世まで   君の生命に   功徳と成るかな



 「SGI(創価学会インタナショナル)の活動は、なぜ、これほど世界的に広がりを見せるようになったのでしょうか」

 アメリカの未来学者ヘンダーソン博士から質問されたことがある。

 「環境運動の母」としても名高い博士は、私たちの運動に、驚くべき“拡大の秘訣”があるのでは、と思われたようだ。

 重ねて問いかけられた。

 「どうやって、不撓不屈の団体をつくりあげてきたのでしょうか」

 私は率直にお答えした。

 「まず、一心不乱に事に当たったからです」

 誠に素朴だが、「一心不乱」──この一点に徹し抜いてきたからこそ、学会はここまで発展したのだ。

 いかなる時も、人生と広布の「勝利」を目指して、心を一つに定め、強盛に祈り、勇敢に動き、誠実に語る。これが学会精神だ。

 ともあれ、わが同志が、元気いっぱいに社会のため奮闘している。その躍動する地涌の菩薩の群像こそ、創価の誉れの勝利なのだ。

 「そのうえで」と、私は博士の質問に答え、創価の拡大の理由を申し上げた。

 「『徹して一人の人を大切にしてきた』からです」

 すべての勝利も栄光も「一人」から開かれる──これが、広布前進の変わらざる鉄則だ。いな、変わってはならぬ根本である。

 「一対“大勢”」ではない。どこまでも「一対一」で、納得と執念の対話に、敢然と飛び込んでいくのだ。

だから強い。だから負けない。遠回りのように見えても、これこそ共感と理解を広げゆく直道であり、常勝の王道なのだ。

        

 一人立て    されば千人      続かなむ   仏の如くに    菩薩の如くに



 日蓮大聖人は、「一人を手本として一切衆生平等」(御書564㌻)と仰せになられた。

 「一人」のなかに、尊極なる仏の生命を見出した。これが仏法の発見である。そこには、大宇宙を包み、人類へ広がりゆく偉大な力が秘められている。

 その力を現実に一人ひとりから呼び覚まし、糾合していくのが、日蓮仏法の「立正安国」の対話である。

 まだ交通の便も良くない時代、創立の父・牧口常三郎先生は、「一人」を励ますために、ある時は東北の福島へ、ある時は20時間、30時間もかけて、九州の福岡や鹿児島へと、勇んで足を運ばれた。

70歳を超えても、なお、意気軒昂に正義を師子吼なされた。

 「折伏」「個人指導」──広宣の師・戸田城聖先生が、最も力を入れ、取り組まれたのも、膝詰めの「一対一」の対話であった。

 まず祈る。そして、人と会うことだ。声を掛けることだ。語ることだ。心を通わせることだ。

 私も、戸田先生に薫陶を受けた若き日より、今日に至るまで、内外を問わず、目の前の「一人」と誠心誠意の対話を続けている。

 「法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり 大涅槃の大海ともなるべし」(同288㌻) 

この撰時抄の仰せ通り、今、世界中に創価の平和と文化と教育のネットワークは広がっているのだ。

        

 大いなる   勝利の希望の   喜多区かな   今日も明日も  強く楽しく



 それは、第3代会長に就任して3年後(昭和38年)の5月。私は、東京・北区の田端を訪れた。

 新進気鋭のリーダーとなった青年に会うため、彼の実家に伺ったのだ。

 ご両親は草創からの広布の功労者で、自宅を会場に提供してくださっていた。

 私は、心から謝意を伝えずにはいられなかった。

 「いつも本当にご苦労様です。会場提供の功徳は、あまりにも大きいのです」

 この思いは今も同じだ。私の妻の実家も、草創から蒲田支部の会場であった。妻と共に、会場を提供してくださっているご家庭に、深く深く感謝し、ご一家の幸福と繁栄を祈っている。

 私は、北区の功労の父母《ちちはは》に申し上げた。

 「いついつまでも、長生きでいてください!」

 人生も、戦いも、総仕上げが勝負だ。一番大切なのは、最後である。

 御聖訓にも、「法華経の信心を貫き通していきなさい。火をおこすのに、途中でやめてしまえば、火は得られない」(通解、同1117㌻)と仰せである。

 最後に勝ち誇って、勝利の松明を掲げゆくのが、仏法の真の道である。

 北区の家庭訪問から30年目、私は、そのお宅からほど近い場所にそびえ立つ北文化会館を初訪問した。高台にある"北の砦"の会館からは、大東京を見渡すような感慨を覚えた。

 まさしく、北区の前進が全東京の勝利だ。“喜多”は、隣接する足立、荒川、板橋、豊島、文京、そして川口、戸田、鳩ケ谷、蕨、草加、越谷、三郷、八潮など埼玉県の同志たちとも一体である。

 この天地には、異体同心の勝利の実証によって、“多くの喜び”を、世界の友に贈りゆく、不思議なる使命があるのだ。

 御書に「随喜する声を聞いて随喜し」(御書1199㌻)と記される通りである。

        

 厳然と   わが大本陣を    守り勝て   祈り祈りて  走り走りて



 昭和54年の4月──私は、神奈川の横浜・旭区にいた。会長辞任を発表する4日前のことである。

 文京支部の時代から、苦楽を共にしてくれた縁深い同志のお宅に伺ったのだ。

 草創の保土ケ谷地区で活躍した、健気な旭の同志を前に、私は叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 旭、保土ケ谷、さらには全横浜、全神奈川の友に、栄光あれ! 幸福あれ! 大勝利あれ!──と。

 創立80周年へ保土ケ谷の文化会館建設の朗報も、本当におめでとう! 横浜旭文化会館も、明年2月には、開館15周年の佳節を刻む。法友である皆様方の闘志に満ちあふれた笑顔が、目に浮かんでくる。

 私の妻もまた、私の心を携えて、時間を見つけては対話に歩いてきた。

 この昭和54年7月、私の名代として第1回関西記念合唱祭に出席した翌々日にも、妻は草創の同志のもとへ向かった。大阪・淀川区のお宅である。

 集った婦人部の友と、懇談に花が咲いたようである。何があろうが、わが大関西の婦人部は太陽のように明るい。朗らかだ。

 『母』『大地』などの名作で知られる、アメリカの作家パール・バックも、関西に思い出深い足跡を残した一人だ。彼女は、自らの母を感謝を込めて讃えた。

 「母はどんな場合にも恐れたことがない」

 「母の脈管に流れる開拓者の血の力は、彼女を落ち着かせ、強くし、恐怖を知らぬ者とする」

 私と妻には、まさに、愛する関西の母たちの「負けたらあかん」との叫びと、重なって響いてくる。

 大阪支部の初代の婦人部長・白木文《ふみ》さんも、微笑みながら語っていた。

 「私たち関西の婦人部は、どんな時でも、喜んで挑戦し、困難にあえばあうほど、勇気百倍しました。それを誇りに戦ってきたのです。

 『月月・日日につより給へ』(御書1190㌻)の御聖訓のまま、『いざや前進 恐れなく』と進んできたのです」

 この常勝の母の心は、今、錦宝会(多宝会)はもちろんヤング・ミセスにも、池田華陽会の乙女にも、生き生きと脈打っているのだ。

        

 名誉会長になった私が、本格的に訪問対話を開始したのは、30年前(昭和54年)の8月下旬である。

 草創からの広布功労者や同志たちが、忘恩堕落の坊主に苛められる地域もあった。断じて許せなかった。

 正義は、第一線の会員の中にこそある!

 第一号の訪問対話となったのは、長野・佐久の功労者であった。先日も、ご家族の勝ち栄えゆく嬉しい近況を伝えてくださった。

 山梨、東京、神奈川、長崎、岐阜、奈良、滋賀、愛知……私は全国を巡った。

 いずこの地にあっても、わが創価家族は、この世で果たしゆく使命と栄光の劇を堂々と飾っておられる。



 恐れるな   また歓喜せむ    この人生   無量の諸天が    われらを守らん



 バックは『ノーベル賞文学全集7』所収「母の肖像」村岡花子訳(主婦の友社