随筆 我ら勝利の大道 NO 3 「創価文化の輝き」㊦ 2010-1-21
充実と向上の劇を
一日一日、自分自身を励まし、そして友と励まし合いながら、青春の晴れ舞台でも、広布の大舞台でも、伸びやかに充実と向上の劇を乱舞していただきたい。
「芸術はわれわれに立ちどまってはならないと命じているのだ」とは、ベートーベンの至言である。
わが生命を、一生懸命に咲かせ切って生きる。それ自体が芸術の傑作となる。
岡山県出島の詩人・薄田泣菫は、生命の「力」と「美しさ」と「輝き」を讃えてやまなかった。
この泣菫が、ひときわ好んだものがある。それは、雑草だ。そこには「踏まれても、引きちぎられても、伸びずにはおかない」という生命の真髄の力が現れているからである。
泣菫は見つめていた。
ーあらゆる草木が枯れはてる冬に凛と咲く花がある。水仙の花である。水仙は、ぼろぼろに流れた土のなかから咲き出で、その金と銀の香りで、自らを育んだ土を浄めている、と。
厳寒の冬のような逆境にあっても絶対に負けない。
朗らかに逞しく、家族のため、友のため、地域のため、社会のため、祈り、活動を続けているのが、わが創価の女性たちである。
あの阪神・淡路大震災の惨禍から十五年。健気に前進されゆく兵庫、大阪をはじめ、今、全国各地で、婦人部大会が花盛りだ。それは、「冬は必ず春となる」
(御書一一五三ページ)との御金言を主題とする、希望の劇場であるといつてもよい。
一人ひとりが常楽我浄のドラマの主役である。特に、中心となるグループ長、副グループ長の皆様のご健闘を労劇場であるといつてもよい。
一人ひとりが常楽我浄のドラマの主役である。特に、中心となるグループ長、副グループ長の皆様のご健闘を労い、讃えたい。
幸福の 交響楽を ともどもに 弾かなん歌わむ 錦州城にて
ある日ある時、愛する関西の友に贈った歌である。
一九三五年六月、ナチスによる文学者や文化人への弾圧が吹き荒れるなか、パリで行われた国際作家大会で、一人のデンマークの作家が烈々と叫んだ。
「文化とは責任のことだ。最高の文化は未来にた いする責任である」
多くの文学者が粛清され、膨大な量の詩や作品が焚かれた。
それでも亡命や投獄の烈風に怯まず、未来への「責任」を担い立ち、死をも覚悟して正義を貫き通した勇者がいたのだ。
「責任」即「勇気」だ。
ここに、蛮性と戦い、文化を永続させゆく力がある。
この道を 歓喜のスクラム 友どちと 進む嬉しさ 文化の世界と
文化は、一部の特権階級のためのものではない。全人類に共通の宝である。
フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏も、ナチスの侵略の渦中、一人、危険を顧みず、ルーブルの所蔵品を護り抜いたエスプリ(精神)の闘士である。
一九八九年の六月、このユイグ氏ゆかりのフランス学士院から招聘をいただき、「東西における芸術と精神性」と題し講演を行ったことも懐かしい。
その際、私は「大悪大善御書の一節を拝した。
「迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには.をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同一三○○ページ)
宇宙の本源の法則に則って、芸術の「結合の力」を発揮しゆく創造的生命は、「歓喜の中の大歓喜」に躍動していくことを申し上げたのである。
しばし鳴りやまぬ賛同の大拍手をいただいた。
ともあれ、広宣流布は、万年の彼方まで人類の未来に「責任」を果たしゆく聖業である。
わが友よ、この尊極の使命の舞に、喜び勇んで打って出ようではないか!
堂々と 文化と平和の 道 開く ああ勇敢な 創価の君らよ
皆の生命が勝利に輝く、文化と平和の世紀を、いかにして築くのか。そこに、「創価ルネサンス」の一次元の眼目もある。
私が対話を重ねた七千人に及ぶ識者・指導者のなかには、多くの文化の闘士、芸術の王者、言論の獅子がおられた。
その精神の戦人たちは、自ら生命を注いだ芸術を誰に捧げてきたのか。
語り合った私の実感は、それは「民衆のために」という一点である。
民衆を強く! もっと強く! そう願い祈る心に溢れていた。
平和を願う人は、誰よりも文化を愛する人だ。
人間を共感と感動で結ぶ文化の擁護と復興こそが、平和への大道なのである。
苦悩を勝ち越えたベートーベンも、わが音楽は民衆のためにあると信じていた。彼は、自らに語った。
「お前は、お前自身のための人間であってはならない。ただ、他の人のための人間なのだ」
そのベートーベンの〃歓喜の歌〃を、わが同志が歌ったことに、「外道礼賛」と愚劣に悪口してきたのが邪宗門である。
庶民の尊き真心を裏切った、恩知らずの文化破壊の輩の哀れな末路は、ご存じの通りだ。
日本画壇の巨匠。平山郁夫画伯と、海を見つめる神奈川文化会館で語り合って三十年となる。
私の著作の装画や挿絵などでも、大変にお世話になった。昨年、訃報に接して、忘れ得ぬ出会いが蘇ってきてならなかった。謹んで哀悼の意を捧げたい。
「仏教伝来」が代表作の一つである平山画伯は、命を賭して、仏教を西から東へと伝えた先達への思いを通し、ご自身の画家としての真情を述懐された。
「命がけで求めないと先人の苦闘の本当の心境が分からない」「一切の根源にあるものをつかみたい」
仏法の「不惜身命」にも通ずる気迫であられた、
求道心みなぎる芸術、そして戦いの心が脈打つ文化こそが、何ものにも朽ちない不滅の輝きを放つのだ。
芸術部、学術部、ドクター部、文芸部をはじめ、「創価文化」を担い立つ栄光の旗手たちよ!
君たちのたゆまぬ挑戦の勇姿が、私たちの何よりの誉れである。
そしてまた、広宣流布という文化興隆の歴史を開いてこられた父母の誇らしげな顔は、どんな芸術家のそれにも増して美しい。
ゲーテは詠んだ。
「われらの上には真の友情が輝く。
ごらん、新たなる年がきてわれらもまた新しくなっている」
さあ、妙法の芸術家よ、大文化の英雄たちよ!
色褪せることなき、人生の大勝利の絵巻を!
民衆の栄光の賛歌を全世界の友と歌い上げるのだ!
そしてまた、使命も深き「創価」の宝冠を戴く偉大な同志たちよ!生命歓喜の勝鬨で、至高の芸術と輝く人生を飾れ!
おお! いかなる苦難にも負けず、生き生きと戦い勝ちゆく生命は美しい!
人生も また青春も 悔いはなき 魂の舞の 君の勝利を
(随時、掲載いたします)
ゲーテの言葉は最初が『ゲーテ全集1』「新年に」片山敏彦訳(改造社)=現代表記に改めた。二番目は「新年に」の別訳で、『ゲーテ全集1』松本道介訳(潮出版社)。キーツは『対訳キーツ詩集』宮崎雄行訳(岩波書店)。薄田泣菫は『泣菫随筆】谷沢永一・山野博史編(富山房)。ベートーベンは『べートーヴエンの言葉』津守健二訳(朝日新聞社)。デンマークの作家の言棄は『文化の擁護1935年パリ国際作家大会』相礎佳正他編訳(法政大学出版局)。
一日一日、自分自身を励まし、そして友と励まし合いながら、青春の晴れ舞台でも、広布の大舞台でも、伸びやかに充実と向上の劇を乱舞していただきたい。
「芸術はわれわれに立ちどまってはならないと命じているのだ」とは、ベートーベンの至言である。
わが生命を、一生懸命に咲かせ切って生きる。それ自体が芸術の傑作となる。
岡山県出島の詩人・薄田泣菫は、生命の「力」と「美しさ」と「輝き」を讃えてやまなかった。
この泣菫が、ひときわ好んだものがある。それは、雑草だ。そこには「踏まれても、引きちぎられても、伸びずにはおかない」という生命の真髄の力が現れているからである。
泣菫は見つめていた。
ーあらゆる草木が枯れはてる冬に凛と咲く花がある。水仙の花である。水仙は、ぼろぼろに流れた土のなかから咲き出で、その金と銀の香りで、自らを育んだ土を浄めている、と。
厳寒の冬のような逆境にあっても絶対に負けない。
朗らかに逞しく、家族のため、友のため、地域のため、社会のため、祈り、活動を続けているのが、わが創価の女性たちである。
あの阪神・淡路大震災の惨禍から十五年。健気に前進されゆく兵庫、大阪をはじめ、今、全国各地で、婦人部大会が花盛りだ。それは、「冬は必ず春となる」
(御書一一五三ページ)との御金言を主題とする、希望の劇場であるといつてもよい。
一人ひとりが常楽我浄のドラマの主役である。特に、中心となるグループ長、副グループ長の皆様のご健闘を労劇場であるといつてもよい。
一人ひとりが常楽我浄のドラマの主役である。特に、中心となるグループ長、副グループ長の皆様のご健闘を労い、讃えたい。
幸福の 交響楽を ともどもに 弾かなん歌わむ 錦州城にて
ある日ある時、愛する関西の友に贈った歌である。
一九三五年六月、ナチスによる文学者や文化人への弾圧が吹き荒れるなか、パリで行われた国際作家大会で、一人のデンマークの作家が烈々と叫んだ。
「文化とは責任のことだ。最高の文化は未来にた いする責任である」
多くの文学者が粛清され、膨大な量の詩や作品が焚かれた。
それでも亡命や投獄の烈風に怯まず、未来への「責任」を担い立ち、死をも覚悟して正義を貫き通した勇者がいたのだ。
「責任」即「勇気」だ。
ここに、蛮性と戦い、文化を永続させゆく力がある。
この道を 歓喜のスクラム 友どちと 進む嬉しさ 文化の世界と
文化は、一部の特権階級のためのものではない。全人類に共通の宝である。
フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏も、ナチスの侵略の渦中、一人、危険を顧みず、ルーブルの所蔵品を護り抜いたエスプリ(精神)の闘士である。
一九八九年の六月、このユイグ氏ゆかりのフランス学士院から招聘をいただき、「東西における芸術と精神性」と題し講演を行ったことも懐かしい。
その際、私は「大悪大善御書の一節を拝した。
「迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには.をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同一三○○ページ)
宇宙の本源の法則に則って、芸術の「結合の力」を発揮しゆく創造的生命は、「歓喜の中の大歓喜」に躍動していくことを申し上げたのである。
しばし鳴りやまぬ賛同の大拍手をいただいた。
ともあれ、広宣流布は、万年の彼方まで人類の未来に「責任」を果たしゆく聖業である。
わが友よ、この尊極の使命の舞に、喜び勇んで打って出ようではないか!
堂々と 文化と平和の 道 開く ああ勇敢な 創価の君らよ
皆の生命が勝利に輝く、文化と平和の世紀を、いかにして築くのか。そこに、「創価ルネサンス」の一次元の眼目もある。
私が対話を重ねた七千人に及ぶ識者・指導者のなかには、多くの文化の闘士、芸術の王者、言論の獅子がおられた。
その精神の戦人たちは、自ら生命を注いだ芸術を誰に捧げてきたのか。
語り合った私の実感は、それは「民衆のために」という一点である。
民衆を強く! もっと強く! そう願い祈る心に溢れていた。
平和を願う人は、誰よりも文化を愛する人だ。
人間を共感と感動で結ぶ文化の擁護と復興こそが、平和への大道なのである。
苦悩を勝ち越えたベートーベンも、わが音楽は民衆のためにあると信じていた。彼は、自らに語った。
「お前は、お前自身のための人間であってはならない。ただ、他の人のための人間なのだ」
そのベートーベンの〃歓喜の歌〃を、わが同志が歌ったことに、「外道礼賛」と愚劣に悪口してきたのが邪宗門である。
庶民の尊き真心を裏切った、恩知らずの文化破壊の輩の哀れな末路は、ご存じの通りだ。
日本画壇の巨匠。平山郁夫画伯と、海を見つめる神奈川文化会館で語り合って三十年となる。
私の著作の装画や挿絵などでも、大変にお世話になった。昨年、訃報に接して、忘れ得ぬ出会いが蘇ってきてならなかった。謹んで哀悼の意を捧げたい。
「仏教伝来」が代表作の一つである平山画伯は、命を賭して、仏教を西から東へと伝えた先達への思いを通し、ご自身の画家としての真情を述懐された。
「命がけで求めないと先人の苦闘の本当の心境が分からない」「一切の根源にあるものをつかみたい」
仏法の「不惜身命」にも通ずる気迫であられた、
求道心みなぎる芸術、そして戦いの心が脈打つ文化こそが、何ものにも朽ちない不滅の輝きを放つのだ。
芸術部、学術部、ドクター部、文芸部をはじめ、「創価文化」を担い立つ栄光の旗手たちよ!
君たちのたゆまぬ挑戦の勇姿が、私たちの何よりの誉れである。
そしてまた、広宣流布という文化興隆の歴史を開いてこられた父母の誇らしげな顔は、どんな芸術家のそれにも増して美しい。
ゲーテは詠んだ。
「われらの上には真の友情が輝く。
ごらん、新たなる年がきてわれらもまた新しくなっている」
さあ、妙法の芸術家よ、大文化の英雄たちよ!
色褪せることなき、人生の大勝利の絵巻を!
民衆の栄光の賛歌を全世界の友と歌い上げるのだ!
そしてまた、使命も深き「創価」の宝冠を戴く偉大な同志たちよ!生命歓喜の勝鬨で、至高の芸術と輝く人生を飾れ!
おお! いかなる苦難にも負けず、生き生きと戦い勝ちゆく生命は美しい!
人生も また青春も 悔いはなき 魂の舞の 君の勝利を
(随時、掲載いたします)
ゲーテの言葉は最初が『ゲーテ全集1』「新年に」片山敏彦訳(改造社)=現代表記に改めた。二番目は「新年に」の別訳で、『ゲーテ全集1』松本道介訳(潮出版社)。キーツは『対訳キーツ詩集』宮崎雄行訳(岩波書店)。薄田泣菫は『泣菫随筆】谷沢永一・山野博史編(富山房)。ベートーベンは『べートーヴエンの言葉』津守健二訳(朝日新聞社)。デンマークの作家の言棄は『文化の擁護1935年パリ国際作家大会』相礎佳正他編訳(法政大学出版局)。