小説「新・人間革命」  2月25日 学光25

佐江一志の生い立ちは複雑であった。

 彼は一九四三年(昭和十八年)に東京に生まれた。母親は、両国で料亭を営んでいたが、父親の記憶はなく、父については、何も知らされずに育った。

 彼には、二人の妹がいた。妹たちは、母に育てられたが、彼は、千葉の祖父母のもとで幼少期を送った。

小学校六年の時、母は料亭をやめて、東京・調布の理容店を買い取り、経営を始めた。佐江も、そこで、母や妹たちと一緒に暮らすことになった。

 しかし、母親への反発から非行に走った。喧嘩も繰り返し、何度となく補導された。そのたびに、母親が引き取りに来てくれた。

 「うちは、お父さんがいないんだから、お前がしっかりしてくれないと……」と語る母に、佐江は吐き捨てるように言った。

 「そんなの、自業自得だろ!」

 五八年(同三十三年)、母親が学会に入会し、信心を始めた。息子の未来を憂いてのことであった。

 佐江は、中学校を卒業すると、理容学校に進んだ。彼の非行はおさまらなかった。

 母親は、懸命に唱題に励んだ。彼には、母が自分のことを祈っているのが、よくわかった。それが、かえって、しゃくにさわり、ある時、後ろでギターをかき鳴らして妨害した。

 母が振り返った。じっと、彼を見つめた。その目は、涙で潤んでいた。深い悲しみの目であった。佐江は視線をそらせた。心に痛みを覚えた。自分が情けなかった。

 子を思う母の祈りが通じぬわけがない。祈りは、大宇宙をも動かすのだ。

 六〇年(同三十五年)、佐江は理容師の免許を取り、店に出て働くようになった。

 この年、彼も信心を始めた。必ずしも、仏法に共感したわけではない。さんざん母に迷惑をかけてきただけに、親孝行になればとの思いから、勧めに従ったのだ。

 それでも、男子部の先輩について学会活動に参加するようになった。青年の使命を力説する先輩の姿に、心を打たれた。