小説「新・人間革命」  4月15日 勇気12

  二部学内の先輩の激励は、剛速球のような指導であった。真剣であった。厳しさのなかに、誠実さ、思いやりがにじんでいた。
 田島尚男は、その指導を、すべて真正面から受け止めた。
 学会活動に取り組むようになると、二部学生の多くが、どれほど苦労しているか、身に染みてわかった。
実家に仕送りをしているという人もいた。給料から家賃や学費を払うと満足な食事もとれず、即席ラーメンや、パンの耳が日々の食事だというのだ。生活に疲れ果てて、大学をやめていく学友もいた。
 田島は、活動の帰途、月天子を仰ぎ見ながら、しみじみと思った。
 厳しい生活闘争をしている人が多いなかで、ぼくは、実家に住み、食事に困ることもない。なんと幸せなんだろう
 日蓮大聖人は「ひだるし(空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん(寒)地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)ねこ(猫)にあえるねずみ(鼠)を他人とをもう事なかれ」(御書一一九一ページ)と仰せである。
 人間は、孤独に陥り、自分ばかりが大変なのだと思うと、悲観的になり、心も弱くなってしまうものだ。
 しかし、自分より、もっと大変ななかで頑張っている人もいる。それを知れば、勇気がわく。そして、悶々と悩む自分を見下ろしながら、むしろ、試練と戦う友を励ませる自分に成長できる。
苦難の時こそ、勇気ある信心を奮い起こし、生命の苦悩の流転を断ち切り、境涯を開いていくチャンスなのだ。
 田島が学内で、何人かの部員の責任をもつようになった時、先輩は言った。
 「二部学生の多くは、ともすれば、経済的、精神的なプレッシャーに押しつぶされかねない状況にある。組織のリーダーとして大事なことは、退学していったり、挫折していく同志を一人も出さないことだよ。
 それには、まず、誰が学校に来ていないのか、わかっていなければならない」