小説「新・人間革命」 4月26日 勇気21

「飛翔会」メンバーの活躍は、目覚ましかった。彼らは一途であった。真剣であった。
 二部学生は、最も時間がない、多忙を極める青年たちである。その彼らが、どのキャンパスでも、学生部のどの部でも、最も燃え輝き、大活躍していった。
 夜学の帰りにメンバーの激励に行くのは、多くの二部学生の日課になっていた。
 出張の多い会社に勤めながら、学生部の部長をしている青年は、バッグに葉書を必ず入れて持ち歩き、時間を見つけては、メンバーに、せっせと励ましの便りを書いた。その数は、毎月百通を超えた。
 また、毎日、たくさんの十円玉を用意し、会社の昼休みになると、昼食もそこそこに、電話ボックスに走り、連絡や報告、激励に余念がない人もいた。まだ、携帯電話などない時代のことである。
 時間があれば、環境条件が整っていれば、力が発揮できるというものではない。大事なことは使命の自覚である。広宣流布への強き一念である。山本伸一は、彼らに、使命に生きる精神の種子を植えたのである。
 第二回の「飛翔会」総会が開催されたのは、結成から一年を経た一九七六年(昭和五十一年)の八月二十九日のことであった。
会場は東京・大田区体育館であり、全国から二部学生の代表が集っての開催となった。終始、歓喜と求道の炎が燃え盛る総会であった。
 父親の死、急性肝炎を乗り越え、大学の二部を卒業し、難関である大手の経営コンサルタント会社に就職した青年の体験もあった。
 彼は、学会活動にあっても、挑戦に挑戦を重ねてきた。四歳年上の先輩の家に通うこと十六回。遂に、その先輩も、会合に出席するまでになったのである。誠実と粘り強さが、友の心を開いていくのだ。
  
  耐えぬきて  勝利を勝ち取れ この一生