小説「新・人間革命」 5月15日 勇気37

山本伸一は、世界の平和を築くために、イデオロギーの壁を超え、友誼と信頼の道を開こうと必死であった。
しかし、偏狭な心の眼では、その真実を見ることができなかったのであろう。そして、彼は、攻撃のターゲットになったのだ。
 また、宗門の僧たちが、学会員に対して、師弟を離間させるような、いわれなき非難・中傷を浴びせ始めたのである。それは、僧俗和合を破壊する、卑劣な画策であった。
 伸一は、そうした現象に、広宣流布を阻まんとする「魔」が、いよいよ牙をむいて襲いかかってくる予兆を感じていた。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「魔競はずは正法と知るべからず」(御書一〇八七ページ)、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(同一四四八ページ)、「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し」(同五〇四ページ)
 大聖人の仰せ通りに仏法を行じて広宣流布を推進し、事実上、日本第一の教団として、民衆の幸福の道を開いてきた創価学会である。
 さらに、伸一は、立正安国の理念のもと、断じて恒久平和を実現せねばならぬと、全世界を奔走し、各界の指導者、識者らと、懸命に対話を重ねてきた。また、同志も、社会の建設に懸命に取り組んできた。
 それゆえに、御聖訓に照らして、世界広布の大海原に船出した創価学会丸に、諸難の嵐が競わぬわけがないというのが、伸一の覚悟であり、確信でもあったのだ。
 その吹きすさぶ嵐に向かい、広宣流布のために戦うことによって、わが胸中に、地涌の菩薩の生命が脈動し、人間革命がなされるのだ。
ゆえに、伸一は、愛する同志が、何ものにも負けぬ闘魂を燃え上がらせる、勇気の歌を作らねばならないと思った。
 ともあれ、文化の興隆、民族の台頭には、民衆を鼓舞する希望の歌があった。
今、伸一は、新しき人間文化の創造と人間主義の時代を築き上げるために、同志の心を奮い立たせる生命の讃歌を作りたかったのである。
 
■語句の解説
 
 ◎三類の強敵
 末法において、法華経を受持し、弘める人(法華経の行者)を迫害する三種類の敵人のこと。
 (1)俗衆増上慢=仏法を知らない者が悪口罵詈等の迫害を加える。(2)道門増上慢=慢心で邪智な僧が誹謗・迫害する。(3)僭聖増上慢=あたかも聖人のように世の尊敬を受けている高僧が、権力者を動かして迫害する。