小説「新・人間革命」 5月 18日 勇気39

七月十六日――この日は、文応元年(一二六〇年)に、日蓮大聖人が「立正安国論」を、時の最高権力者・北条時頼に提出した日である。この「立正安国論」をもって、国主を諫暁されたのである。
 そこから、松葉ケ谷の法難や伊豆流罪、さらには、竜の口の法難・佐渡流罪など、津波のごとく襲いかかる、大聖人の大難の御生涯が始まるのである。
 しかし、大聖人は叫ばれた。「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書一二二四ページ)と――。
 十六日、山本伸一は、東京・大田区の座談会に出席するなど、多忙を極めていた。だが、そのなかで、大聖人の大闘争に思いを馳せながら、「人間革命の歌」の歌詞を作り終えたのである。
一番が五行からなる、三番までの歌であった。
 翌十七日は、権力の魔性と戦い抜いた伸一の、出獄の日である。朝、伸一は、歌詞を推敲し、さらに手を加えた。この日も、学習院大学会の総会に出席するなど、諸行事が詰まっていた。
 そして、夜、自宅で曲想を練り上げていったのである。軽やかで、それでいて力強く、勇気を燃え上がらせ、希望の光が降り注ぐような曲というのが、伸一の思いであった。
 彼の頭のなかで、曲のイメージが出来上がった時には、午後十一時を回っていた。
 本部幹部会当日の十八日は、朝から作曲に取り組んだ。
昼からは、創価文化会館の三階ホールに、作曲経験のある音楽教師の青年を呼び、ピアノを弾いてもらいながら、曲作りに励んだ。しかし、本部幹部会までに、曲は完成しなかったのである。
 彼は、後世永遠に歌い継がれる、最高の歌を作りたかった。だから、安易に妥協したくはなかった。
 努力を重ねてきたのだから、もうこれでいいではないかとの思いが、進歩、向上を止めてしまう。その心を打ち破り、断じて最高のものを作ろうとする真剣勝負の一念から、新しい知恵が、力が、創造が、生まれるのだ。
 
■語句の解説
 
 ◎松葉ケ谷の法難など
 松葉ケ谷の法難は、文応元年(一二六〇年)八月、鎌倉・松葉ケ谷の大聖人の草庵を、武装した念仏者らが襲った事件。翌弘長元年(一二六一年)の五月、大聖人は、伊豆流罪となる。 竜の口の法難は、文永八年(一二七一年)九月、幕府の権力者らが策謀をめぐらし、鎌倉・竜の口で首を斬ろうとした事件。 だが、失敗し、幕府は、大聖人を佐渡流罪にした。