小説「新・人間革命」 5月 20日 勇気42

 山本伸一は、創価文化会館の三階ホールに戻ると、再び「人間革命の歌」の作曲に取りかかった。曲は、一応、かたちにはなっていたが、まだ納得がいかないのだ。
 彼は、本部幹部会の終了までに完成させることができれば、ぜひ、参加者に披露したいと思っていた。
 伸一は、この本部幹部会で、彼が入場する前に、ピアノとマリンバを演奏した、二人の女子部員にも来てもらい、意見を聞いた。
音楽大学を出て、民主音楽協会に勤務している植村真澄美と松山真喜子である。彼女たちにも手伝ってもらいながら、作曲を続けた。
 午後三時半、伸一は、彼女たちと一緒に、本部幹部会の会場となった五階の大広間に上がった。既に会合は終了していた。
 伸一は、大広間のピアノを使って、引き続き、作曲に挑戦した。なんとしても、この日のうちには歌を完成させようと、固く心に決めていたのである。
 伸一は、二人の女子部員に言った。
 「決して、遠慮しないで、気がついたことがあったら、どんどん意見を言ってください。みんなの力を借りて、後世永遠に残る、名曲を作りたいんだ」
 伸一は、常に、皆の意見を聞くように努めていた。何事も、そこに発展があるからだ。
 「多くの人の声を尊重してこそ、智者となることができる」(注)とは、中国・三国時代蜀漢の丞相・諸葛亮孔明の名言である。
 会場には、本部幹部会に参加した、学生部の音楽委員会の代表もいた。彼らにも、曲を聴いてもらった。
 皆に意見を求めながら、伸一は、曲作りを進めていった。しかし、納得のいく曲はできないまま、時が過ぎていった。
 伸一は、もう一度、歌詞を推敲した。
 歌詞は、五行詞である。どうやら、これが、作曲を難しくしているようだ。
 「五行ある歌詞を、思い切って四行にしては、どうだろうか……」
 彼は、こう言って、皆に視線を注いだ。
 
■引用文献
 
 注 諸葛亮著『十六策』夏涵(か・かん)注訳、中国三峡出版社(中国語)