小説「新・人間革命」 5月 22日 勇気43

 集っていた音楽関係者の一人が答えた。
 「五行詞を四行詞にすれば、確かに、作曲は、しやすくなると思います」
 しかし、歌詞のどの部分を削るのかとなると、山本伸一は、困惑せざるを得なかった。熟慮に熟慮を重ねてきた歌詞である。一言一言に、深い思いが込められていた。
 どこを削除するか、歌詞を読み返した。
 削るとすれば、二行目だと思った。一番の歌詞の二行目は「同志の人びと 共に立て」、二番は「同志の歌を 胸はりて」、三番は「同志の人びと 共に見よ」である。
 「残念だが、二行目を削ろう。この『同志の人びと』というところには、深い意義があるんだがね……。でも、仕方ないな」
 伸一が、この言葉を使った背景には、若き日に読んだ、山本有三の戯曲『同志の人々』への共感があった。
 ――この作品は、幕末の文久二年(一八六二年)、寺田屋騒動で捕らえられた八人の薩摩藩士が、薩摩に護送されていく船の中が舞台である。
寺田屋騒動は、討幕を計画した薩摩藩士らが、京都・伏見の船宿・寺田屋で、藩によって鎮圧された事件だ。
 荒波に翻弄される船で、藩士たちはこれから、どうなるのか”“途中で処刑されるのではないか”“これまでやってきたことは無意味だったのかと、不安にさいなまれる。
 そこに、目つけから、船底に幽閉されている、公家の臣下である父と子を殺害すれば、二、三カ月の謹慎という軽い刑にすると告げられる。この父子は、藩士らとともに、討幕を誓った同志であった。
 薩摩藩としては、幕府の機嫌を損ねたくないため、この父子を、薩摩にかくまうことは避けたかった。
しかし、表立って処刑すれば、公家に義理が立たない。そこで、船の中で、仲間割れが起こって殺されたことにしたいというのだ。八人の藩士は動揺した。
 最悪な事態、最大の窮地に立たされた時、何を考え、どう行動するか――そこに、人間の奥底の一念、本質が現れるといえよう。