小説「新・人間革命」 5月 25日 勇気45

山本伸一は、青年時代に『同志の人々』を読んだ時、強く胸を打たれた。志をもった人間の生き方に、鋭い示唆を投げかける作品であると思った。 
彼は、是枝の苦渋の選択に、理想と現実の狭間で、矛盾と向き合い、葛藤を超えねばならぬ、革命に生きる人生の厳しさを感じた。
また、再挙を理由に、同志の殺害を決めた藩士たちと、死んでいった公家臣下の父子と、人間として、どちらが勝者で、どちらが敗者かを考えざるを得なかった。 
やがて幕府は倒れ、明治維新は訪れる。しかし、いかに自己正当化しようとも、藩士たちが、討幕を誓い合った、父子の殺害を決めたことは、同志への裏切りにほかならない。 
それは、人間の信義を破り、自らの手で理想を汚してしまったことになる。 
同志を裏切ったという事実は、自身の生命に、無残な傷跡を刻み、永遠にうずき、さいなみ続けるにちがいない。 
それに対して、最後まで革命の理想を信じて、その成就を藩士たちに託して、堂々と自ら死んでいった公家臣下の父親こそ、人間として勝者といえるのかもしれない。 
伸一は、思った。 "広宣流布の使命に生きる学会のなかにも、牧口先生の時代から、目先の利害や、安逸、保身のために、あるいは、迫害を恐れるゆえに、同志を、いや、師匠をも裏切っていった人間がいた。
これからも現れるにちがいない。 
しかし、断じて、そんな人間に屈してはならないし、翻弄されてもならない……"  
彼は、「人間革命の歌」の作詞にあたって、『同志の人々』を思い起こした。 
そして、全会員に、"広宣流布という人生最極の理想に生き抜き、三世に輝く永遠の勝利者の道を歩んでほしい"と呼びかける思いで、一番から三番までの歌詞の二行目に、「同志」という言葉を使ったのである。 
しかし、あえて、その二行目を、削る決断をしたのだ。