小説「新・人間革命」 2010年 6月9日敢闘5

三重記念館の館内に入ると、初代・二代会長の遺品や、ゆかりの品々が展示されていた。
山本伸一は、丹念に見て回った。
 牧口初代会長が愛用した万年筆もあった。キャップはなく、「MAKIGUCHI」というローマ字が入っており、かなり使い込まれている。
 このペンで、どれほど激励の便りを書かれたことだろうか。その手紙によって、勇気を得て、断じて幸福になろうと、敢然と立ち上がった同志も多いにちがいない……
 また、一九五七年(昭和三十二年)九月八日、横浜・三ツ沢の競技場で行われた第四回東日本体育大会で、戸田城聖が使用した皮ケース付きの双眼鏡もあった。
この席上、戸田は、「第一の遺訓」として、あの「原水爆禁止宣言」を発表し、男女青年部に、その思想を全世界に広めゆくことを託したのである。
 戸田先生は、双眼鏡をのぞき、若い力をぶつけ合う、たくましい青年たちの英姿を、どんな思いでご覧になっていたのだろうか。
 いや、その目は、広宣流布の栄光の未来を見つめておられたにちがいない
 伸一は、戸田の平和思想を、全人類の共通認識とするまで、断じて戦い抜かねばならないと、誓いを新たにするのであった。
 さらに、四七年(同二十二年)八月十四日、伸一が、初めて戸田と出会った座談会場の、座卓や柱時計も展示されていた。
 あの夜の、運命的な出会いが、まざまざと蘇り、懐かしさがあふれた。
 戸田先生あればこそ、大仏法に巡り合うことができた。先生あればこそ、今の自分がある。先生、伸一は幸せ者です……
 戸田を思う時、必ず、伸一の心は、師への感謝でいっぱいになった。そして、感謝は歓喜と報恩の決意となり、広宣流布への闘魂の炎となって燃え上がるのであった。
 韓国の独立の闘士であった大詩人の韓龍雲は語っている。
 「感謝の心! そこに理解もあり、尊敬もある。満足もあり、平和もあるのだ」
 
■引用文献 : 注 『韓龍雲語録』キムサンヒョン編、詩と詩学舎(韓国・朝鮮語