小説「新・人間革命」 6月14日 敢闘9
牧口常三郎の教育学説の発刊の難題は、いかに原稿を整理し、まとめるかであった。
牧口の場合、原稿といっても、校長職の激務のなかで、封筒や広告の裏、不用になった紙などに、思いつくままに、書き留めてきたものが、ほとんどである。
二度、三度と、同じ内容も出てくる。それを順序立てて構成し、文章を整理しなければ、とうてい本にはならない。
だが、その労作業を買って出る人などいなかった。牧口も悩んでいた。
「先生、私がやりましょう」
その時に、名乗りをあげたのも、戸田城聖であった。
「戸田君、そこまで君にやらせるわけにはいかんよ。それに、いかに数学の才のある君でも、文章を整理するという畑違いの仕事だけに、困難このうえない作業になるぞ」
牧口は、戸田に、これ以上の苦労をかけまいと、拒んだのである。
「先生。私は、文章の才はないかもしれません。また、難しいことは言えません。しかし、戸田が読んでわからないような難解なものが出版されても、誰が読むでしょうか。
先生は、誰のために、出版しようとされるんですか。世界的な、大学者に読ませるためですか。戸田が読んでわかるものでよろしければ、私がまとめさせていただきます」
そして、戸田が、この作業を行うことになったのである。
切れ切れの牧口の原稿の、重複する個所はハサミで切って除き、自宅の八畳間いっぱいに並べてみた。すると、そこには、一貫した論旨と、卓越した学説の光彩があった。
戸田は、牧口への報恩感謝の思いで、この編纂の労作業を、自らに課したのである。
表紙の題字と牧口の著者名は、金文字で飾られていた。ここにも戸田の、弟子としての真心が込められていた。