小説「新・人間革命」 6月15日 敢闘10

創価教育学体系』第一巻の「緒言」(序文)に、牧口常三郎は、この発刊にあたって、青年たちが、原稿の整理や印刷の校正に尽力してくれたことに触れ、なかでも、戸田城聖の多大な功績について記している。
 そこには、戸田が、牧口の教育学説を時習学館で実験し、小成功を収め、その価値を認めて確信を得たことから、学説の完成と普及に全力を捧げたことが述べられている。
 また、戸田の著書『推理式指導算術』についても、「真に創価教育学の実証であり又先駆である」と賞讃した。
 さらに、デンマークの国民高等学校(フォルケホイスコーレ)を創設したニコライ・グルントウィと、その若き後継者であるクリステン・コルを、自分と戸田に重ね合わせている。
そして、戸田の存在によって、「暗澹たる創価教育学の前途に一点の光明を認めた感がある」と綴ったのだ。
 まさに、創価学会は、その淵源から、師弟をもって始まったのである。ゆえに、師弟の道を、永遠に伝え残していくなかに、創価の魂の脈動があるのだ。
 そして、この師弟の道は、弟子が師匠の精神と実践を学ぶことから始まる。それには、師匠の遺品や、ゆかりの品々に触れることが大事になると、山本伸一は考えたのである。
 伸一は、戸田が逝去した直後から、広宣流布の恩師の精神と足跡をとどめる品々を集めることに、最大の努力を払ってきた。いな、戸田の生前から、そのために、心を砕いてきたといってよい。
 戸田の講義などのレコード製作を進めたのも、伸一であった。
彼が、戸田の「声」を、永遠に残さねばならぬと思ったのは、一九五一年(昭和二十六年)二月。戸田のもとに十四人の青年が集い、ホール・ケインの小説『永遠の都』を学んだ時のことである。
 ――主人公のロッシィが、自分を育ててくれた老革命家の声を、蓄音機で聴く。それは、流刑地からの、後を頼むとの遺言であった。ロッシィは感涙にむせび、革命を誓うのだ。