小説「新・人間革命」 6月17日 敢闘12

学会の主要行事を映画に収めようというのは、実は、山本伸一が、今後の構想として、青年たちに語ってきたことであった。
 伸一は、戸田城聖に、重ねて進言した。
 「先生、今や映画の時代です。ぜひ、未来のために、重要な行事だけでも、撮影させていただきたいと思います」
 「そうか。わかった、伸一に任せよう」
 こうして、一九五六年(昭和三十一年)の主要行事をはじめ、大阪大会や横浜・三ツ沢の競技場での「原水爆禁止宣言」、さらに、青年部に広宣流布の後事の一切を託した「3・16」の記念式典などが、映画フィルムに収められていくことになる。
 すべては、師匠の真実の姿を永遠に残し、その精神を、誤りなく伝えたいとの、伸一の一念から発したものであった。
 初代会長・牧口常三郎は、広宣流布の旗を掲げ、軍部政府の弾圧によって、獄中で殉教した。第二代会長・戸田城聖は、生きて牢獄を出て、生涯を広宣流布に捧げた。
 まさに、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書九五五ページ)との御聖訓のままに、広宣流布に生き抜いてきたのが、創価の師弟である。
その師弟の精神が永遠に流れ通ってこその、創価学会である。
 したがって、特に組織の中核となる最高幹部には、ただ、ただ、広宣流布のために!という、清浄にして崇高な師弟不二の大精神が、横溢していなければならない。
 口先だけで、広宣流布の先頭に立って戦うこともなく、名聞名利を欲するような人間が、もし、幹部として君臨するようになれば、学会の魂は崩れ去ってしまう。
 ゆえに、伸一は、幹部をはじめ、次代のリーダーとなる青年たちに、この師弟の精神を、深く、深く、刻み込んでいかなければならないと思っていたのである。
 また、堕落の萌芽を目にしたならば、それは、直ちに摘み取らねばならないと、強く決意していた。それが、本人のためであるし、学会を守ることにもなるからだ。